坂東真砂子さんのエッセーの感想

日本経済新聞夕刊・金曜日・プロムナード欄より
坂東真砂子さんのエッセーのタイトル
(1)7月7日  第一回 生と死の実感
(2)7月14日 第二回 肉と獣の距離
(3)7月21日 第三回 付喪神のいる島
(4)7月28日 第四回 天の邪鬼タマ
(5)8月4日  第五回 風の明暗をたどる(山頭火)
(6)8月11日 第六回 魚市場の女呪術師
(7)8月18日 第七回 子猫殺し
(8)8月25日 第八回 名前はまだない

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[ドライブの楽しみは、鶏の死骸を発見することだ。私の住むタヒチ島では、野生の鶏がたくさんいて、よく車に撥ねられて死んでいる。それを拾って、新鮮ならば食用に、傷んでいれば犬の餌にするのだ。](1)


まずタヒチには、野生の鶏がうようよいて、日本の大阪府の端っこなんかで狸が車にはねられるのと同じように、車にはねられて死んでいる、ということに驚いた。大阪で車にはねられた狸を狸汁にして食べる人はいない(と思う)が、(最近、丹波の篠山の近くで電車に猪がはねられたとき、そいつを始末した人達は食べたのかな、それとも、獣医さんに解剖してもらったのかな、それとも、何もしないで埋葬したのかな……と気になる)、タヒチでは、少なくとも坂東真砂子は、車にはねられて死んだ鶏を拾って食べている。

しかし傷んでいれば犬の餌にするとは、犬がかわいそうだ。そのうえ、この犬は、生きている鶏を自分でつかまえても、飼い主に取り上げられてしまうのだ。

[犬が庭で捕まえた野生の鶏を取りあげ、ばたばた暴れる足を縛って、包丁で頚動脈を切る。羽をむしって、まだ温かい内臓を取り出し、解体して調理する。そんな経過を踏んで食べる鶏肉は貴重であり、生き物を食べているのだということを実感する。](2)


その調理した鶏は、飼い主が食べ残しでもしたら犬に分けて貰えるのだろうか。それとも、犬には残り物さえ無いのだろうか。なんたる、搾取だ。

野生の鶏ともなれば、かなり元気に飛ぶはずだ。跳ぶ、ではなくて、飛ぶ、と呼べる程度には飛べるのだろうと想像する。それをつかまえる犬もすばらしい。坂東真砂子にはつかまえることができない。犬がつかまえたのをピンハネして、どんな新鮮な死骸を拾ってくるより、生きている鶏を殺して食べるほうが、おいしいと感じているのだ。

かわいそうな坂東真砂子の飼い犬は鼠を狩るのが好きらしい。

[毎朝、三匹の飼い犬を従えて、家の背後に連なる谷や山を歩くのが日課だ。頭上では小鳥が囀り、犬たちは茂みに頭を突っこんで、野鼠を駆り立てて遊ぶ。](3)


坂東真砂子は鼠は食べないようだ。

[鼠に関しては、飼っている犬猫が殺した死骸が家の中や庭に転がっていると、尻尾をつかんで茂みに放り投げるほどに平気になった。](1)


タヒチの道路にも、鼠は落ちている。

[島には、野生の鶏ばかりではなく、野良犬、野良猫、野鼠などがうようよいて、車に轢かれた死体が路傍に残されている。ぺしゃんこになった猫や、四肢を宙に突き出して死後硬直した犬、鼠などは灰色の滲みのように地面にくっついている。](1)


自動車で動物を轢き殺すというのは、動物が動物を殺すのに比べて、乱暴で失礼な殺し方のような気がする。動物が動物を殺すときには、相手を殺すということを意識し、食べるなどの目的を持ち、知恵と力と技を使って仕留める。しかし、自動車は、ただ道を走っているだけだ。そこに動物がいても、何も轢き殺そうと思って轢き殺すわけではない。たいてい、運転している人間がうっかり轢いてしまうのである。これほど相手をばかにした殺し方もない。その端的な例が鼠だ。「地面にくっついている」「灰色の滲み」になんかなったら、犬も喰わないだろう。

もちろん、タヒチには、生きている獣もたくさんいる。牛や馬や豚があちこちで飼われている。坂東真砂子は、初めて運転したトラックを、道路を横切る馬にぶつけてしまったことがあるそうだ。けがだけで済んだらしいが。坂東真砂子の隣人は自宅の豚小屋で飼っているやつを宴会のときに殺して食べる。

[一度、飼い犬を探して、隣家の敷地に入りこんだら、谷間の奥で、ぶえーっ、ぶえーっ、という声に驚いた。](2)


坂東真砂子はタヒチで八年、暮らしている。その間に、すっかり、自分が食べる動物の生きているときの姿を想像する癖がついてしまったようだ。日本で馬肉の料理を御馳走になったときにさえ、生きている馬の姿が頭にちらつく。

[先だって、日本に行った時に、馬肉をご馳走になった。こってりしているのに淡白で、美味だった。しかし、妙に気持ちが落ち着かない。馬肉を食べたいといったのは私だし、喜んで口に運んでいるのだが、馬の姿が頭にちらちら浮かぶのだ。](2)


トラックをぶつけたタヒチの馬のことでも思い出したのか?

[肉とその肉を切り取られた本体の獣とが、頭の中で結びつくようになり、牛や馬や豚を食べることに後ろめたさがまとわりつくようになった。これは、なんだろうと考えて、思いついた。
自分の手を汚して生きている牛や馬や豚を殺すことができないのに、売られている肉を買って、舌鼓を打つことに矛盾を感じているのだと。](2)


鶏のようにそれを獲ってきた飼い犬にさえ分けて遣らずに調理して食べて恬として恥じない、というわけにはいかないのだ。

[その生き物を殺す仕事は他者に預け(他者=業者は合理化したシステムに預け)、殺しにまつわる精神的葛藤をぴょんと飛びこして、店で売られている肉を、まるでこの世に突然、現れた食べ物であるかのように口にするのは、どこか間違っている。
自分ではできないことを他者に頼むとは、分業、機械化の出発点であり、その末に現代社会が成立している。](2)


坂東真砂子は、交通事故で死ぬ獣であれ、人間に食べられるために殺される家畜であれ、その「死骸」が人間の目から隠されたり、「殺し」が食べる人本人の手でおこなわれないことが、あたりまえのようになっている現代の日本の都市生活に、矛盾を感じている。

[考えてみれば、子供の頃、私の育った高知の山間の村では、犬猫、蛇の死骸などが路傍に転がっていた。なのに、都市生活を十数年続けたおかげで、いつか獣の死骸に違和感を覚えるようになっていたのだった。
(中略)
野良犬、野良猫が減り、交通事故にあう獣は少なくなったし、死骸が見つかるやいなや役場に連絡が行き、すみやかに処理される。都市とは、死を排除された空間だ。殺人、事故死などはごまんとあるのに、それらの痕跡は見事に消される。](1)


坂東真砂子によると、衛生上の問題もあるから、死骸がすみやかに処理されるのはいいことなのだが、そのかわり、「死の実感」が失われ、そうすると、「生の実感」までが失われてくる、という。

[死の実感の喪失は、自分の命は永遠であるという幻想ももたらす。その幻想の中で、人は死に対する激しい恐怖に捕われる。かくいう私も死ぬことがずっと怖かった。考えはじめると、叫びたいほどだった。](1)


「自分の命は永遠であるという幻想ももたらす」というのはよくわからないが、それを除けば、こんな坂東真砂子に、私は親近感を覚える。私はこどものとき、死ぬということがこわくて、毎日、考えて、夜も、なかなか、寝付けなかった。なんでみんな平気な顔をして暮らしているのか、わからなかった。漫画やテレビのドラマの主人公が、不治の病であと一年で死ぬとか、死刑の宣告をされたとか、いう理由で、非常な死の恐怖を表現する。でも、何も特別な病気にならなくても、死刑にならなくても、人間はいつか、死ぬ。自分も絶対にいつか、死ぬ。今、病気でなくても、今、死刑の宣告を受けていなくても、こわい死がいずれくることには、変わりがないじゃないか。なぜ、みんな、わたしみたいにこわがらないの? などと思っていた。

しかし、坂東真砂子は、タヒチで暮らしているうちに、誰にでも寿命があるということを受け容れられるようになったのだそうだ。

[獣の死骸をあちこちで目にするのは、枯れ葉や枯れ草を見かけると同様に普通のことだと感じるようになってきた。人はいつか死んでいく、ということは、誰もがよく知っている。しかし、そんな知識は、死の恐怖を消すには役立たない。死を見て、肌で感じ、腐臭を嗅ぎ、実感し、骸が自然の中で溶解していくのを見届ける連続の上ではじめて死の実感は、安らぎとともに得られるのではないか。](1)


ちょっと、小町変相図とか、檀林皇后の話を思い出してしまうが、それらは人の死骸を、それもことさら美しい女の人の死骸を、仏教でいう「無常」を悟らせるために描いている。江戸時代には、落語「骨つり」「野ざらし」(同じ話だが上方と江戸とで題名や細かい点が異なる)があるが、これも美しい女の幽霊が出て来る。「いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせす」というわけだ。

現代の変相図は、仏教の「無常」よりもむしろ、食物連鎖や、生態系のつながりのなかに、人間もいることを悟らせようとするようである。写真家藤原新也のホームページの「メメント・モリ」というコーナーには、インドの河のほとりに散らばる白骨や、犬に喰われる人の死体の写真がある。写真家宮崎学は、小学生向けに、動物の死骸の写真を集めた、『死』『死を食べる』を発表している。

藤原新也
http://www.fujiwarashinya.com/main.html

「宮崎学写真館」
http://www.owlet.net/03-hon/
アニマルアイズ 1~5 
(偕成社 2002年只今発刊中 1800円+税)
(2) 死を食べる
死-Death in Nature(平凡社 1994年 4078円+税)

宮崎学は、上記二作で、「動物は死をムダにしない」「他の生物に食われて自然に形がなくなっていく。それこそが、自然の生命としてもっとも幸せなことかも知れない」と言っている。

坂東真砂子も同じことを考えているようだ。つまり、「死を無駄にしない」ということである。

[つまるところ、人は、自分が殺せる範囲の生き物を食べるべきではないか、と思い至った。](2)


[そんなわけで、このところ、食べる肉は、鶏や魚の範囲内にしている。もっとも、私は菜食主義者でも完璧主義者でもないので、あくまでも食生活の指針として、の程度。ご馳走されれば、馬でも牛でも豚でもほいほい食べてしまいかねないのだけど。](2)


鶏の他に魚も食べる坂東真砂子は、タヒチの魚市場で「女呪術師」と言われているそうである。それというのも、市場の歩き方が、地元の人と全然違うからだそうだ。

[ポリネシア人の歩き方は、とてもリラックスしている。魚が泳ぐように、すらりすらりと歩いている。しかし私は、魚市場に行くと、ただもう、めぼしい魚を他の人よりも早く買い占めようと、一直線につかつかと店を見て回るのだ。弾丸みたいな歩き方だと思う。まったく、この地では浮いた歩き方である。](6)


まったく、食い意地の張った女だ。

[南海の魚だけに、最初は何が何やらわからず、魚図鑑と首っ引きで、これはアジの仲間か、こっちはヒラマサの一種かもしれない、などと類推し、料理法を探しだした。魚のさばき方も本で学び、今では、酢漬け、干物、ちりめんじゃこ的なもの、魚のすり身で天ぷらまで作れるようになった。この魚はどう料理できるか、と考え、工夫することが楽しいのだ。](6)


坂東真砂子は、事実上、「自分が殺せる範囲の生き物」ではなく、「自分がさばくことができる(解体調理できる)範囲の生き物」を食べている。

まあ、そのことは別に、構わない。

しかし、「女呪術師」と言われて、坂東真砂子も少しは反省したようである。

[『暴走機関車』という映画があったが、そんなものだ。走りだしたら、止まらない。脇目もふらずに目的に向かっていく。](6)


坂東真砂子は、自分だけでなく、日本人一般に、その傾向がある、と考える。

[その姿勢でもって、太平洋戦争や経済戦争に突入してきた。走りだしたら、ブレーキはきかないという状況に陥ってしまうためだ。ほんとうは、ブレーキはきくし、軌道修正だってできるのに、私たちは心のどこかに、もうだめだ、止まるためには、どっかにぶつかって玉砕するしかない、という信仰を持っている。
最近、色々な法案が議会を通過しているが、それに関する反応もまた、一度通過したら、もうおしまいだ、変えることはできない、という信仰があるように思える。私たちは、いつだってブレーキをかけることも、軌道修正することもできるのだ。そんな発想が普通にできるようになったら、日本の方向性も、私の歩き方も別のものに変わっていくのかもしれない。](6)


坂東真砂子がポリネシア人のように「とてもリラックスして」、「魚が泳ぐように、すらりすらりと」、魚市場を歩くようになったら、地元の人は、今度は何と呼ぶのだろう。ただの「常連さん」「お得意さん」になるのだろうか。

それより、坂東真砂子は、ゴミ袋をレインコートにすることがあるのだろうか。

[ちょうど雨の多い時期で、その朝も、雨が上がったばかりだった。路傍を、淡いブルーのゴミ袋が歩いているのだ。あれ、と思ったら、その袋から頭と手足がにょきりと出ている。初老の女性だった。長靴を穿いて、手にはバケツを持っている。ビニールの大きなゴミ袋を逆さにして、首と手を出す穴を開け、レインコート代わりにしているのだ。](3)


別の日に見た別の女性は、ゴミ袋の上からベルトまでしていたそうだ。

坂東真砂子は、ひどく感心する。

[それは、すべてのものが、ただひとつの用途でしかなくなった現代生活に対する痛烈な反撃だからだ。](3)


ひとつのものがいくつもの用途を果たす暮らしは、ものが少なくて、人が生きる隙間が豊かにある暮らしなのだろう。反対に、ひとつのものがひとつの用途しか果たさない暮らしは、ものが多くて、人が生きる隙間が乏しい暮らしなのだろう。

[近年ではこの傾向は、人間にも及んできた。人の職種も細分化、専門化され、それに合致しなくなった者は簡単にリストラされる。
人もまたモノと同様、単一化した運命しかなく、社会で働く命も短くなっている。現代日本社会の構成員たちは、今や、人として多様に生きるための自己に対する想像力も創造力も乏しくなってしまった。](3)


坂東真砂子が育った村には、タヒチの田舎と似た側面があったようだ。

[考えてみれば、子供の頃、私の育った高知の山間の村では、犬猫、蛇の死骸などが路傍に転がっていた。](1)

[私の子供時代は、まだそんなにモノの用途は固定化していなかった。野山で食べる弁当で箸がなければ、近くにある木の小枝で作った。用は茂みの中で足した。運動会では運動靴の代わりに足袋で走った。さらに前の時代には、茶の間は寝室を兼用し、漁山村では新しい着物は晴れ着に、少し古びると労働着になり、冬はそんな着物を重ね着して過ごしていた。](3)


坂東真砂子は、タヒチの田舎では、自分の子供時代の村の暮らしに近い生活を、少なくとも現代の日本の都市よりは、できるようである。

[雨の多い日々が過ぎ、久しぶりに太陽が射した。草木は生き生きとした緑を放ち、風が光っている。ピスタッキオの樹にからみついたパッションフルーツの実が、芝の上にあちこちと落ちている。一個ずつ、その黄色い実を拾っていると、ふと種田山頭火を思い出した。
(中略)
山頭火もまた、自然の中で、このような輝きと、のびのびした気分を感じ、漂泊の旅を続けたのだろう](5)

[都市は自然とは対局にある場所だ。自然の中の漂泊者は、風に舞う木の葉のように、自然の一部となるが、都市の漂泊者はゴミとしか見られない。浮浪者として排斥される。それはもう漂泊ではなく、放浪となる。](5)

[実をいうと、私が味わった、自然に属しているという気分は、そこが自分の土地だから起きたものだ。](5)


[現代は、すべての土地に所有者がある。
(中略)
もはや、自分の土地以外では、自然に自分は属しているという気分は味わえなくなっている。](5)


坂東真砂子は、自分の土地では、自然に属しているという気分を味わうことができる。そこでは、三匹の犬と三匹の猫を飼って暮らしている。彼らもまた、自然の一部である。しかし、坂東真砂子が所有する土地には限りがある。犬や猫が増えすぎると、彼らを養うことができなくなる。

たとえば、野生の鶏をつかまえたり、野鼠を飼ったりする犬達の場合、二頭はジャーマン・シェパードの雄と雌で、もう一頭は、その雌のシェパードが野良犬と番って産んだ雑種の雌である。雑種の娘は奔放に生きているらしい。

[ミツとクマには犬小屋があるが、タマはいつもそのあたりを宿にして、放し飼いである。](4)


母犬ミツと娘犬タマは、同じ時期に発情し、出産する。すると坂東真砂子は仔犬達を相手に奮闘しなければならない。

[前回、ミツはタマの仔を自分の仔だと思って奪い、タマはそれを取り返そうとし、私はどちらの仔がどちらの仔かわからなくなり、あたふたしているうちに、両方の仔、みんな死んでしまった。
今回もまた同時に出産したので、涙を呑んで、タマの子は生まれてすぐに始末した。](4)


ミツの仔犬は、逆さにしたボートの下に置いてある。ミツが仔犬の世話をしに行くと、タマがミツの犬小屋に入り込んでしまう。坂東真砂子はこれを見て、瓜子姫のお話に出て来る天の邪鬼のようだと考える。仔犬を殺されたタマは、仔犬を殺されないミツの犬小屋に、ミツの留守中に入り込んで、「後釜にすわる」。

[タマはミツになりたいのだ。ミツならば、子供がいなくなることもない。立派な犬小屋だってある。犬なりに、それを悟ったのだろう。タマは単純に、ミツの小屋にいれば、ミツになれると考えたのだろう。](4)


そりゃ、犬だって、仔犬を殺されるのは嫌だ。ところで、続けて猫の話を読む前に、日本の動物愛護法と、猫の避妊手術についての知識を確認しておいたほうが良さそうである。

動物の愛護及び管理に関する法律(動物愛護管理法:改正法・平成18年6月1日から施行)
「(犬及びねこの繁殖制限)
第三十七条  犬又はねこの所有者は、これらの動物がみだりに繁殖してこれに適正な飼養を受ける機会を与えることが困難となるようなおそれがあると認める場合には、その繁殖を防止するため、生殖を不能にする手術その他の措置をするように努めなければならない。
2  都道府県等は、第三十五条第一項の規定による犬又はねこの引取り等に際して、前項に規定する措置が適切になされるよう、必要な指導及び助言を行うように努めなければならない。」

避妊・去勢http://www.p-well.com/health/clinic/cat/cat-hinin.html
適切な手術時期は“生後8ヵ月”頃
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 避妊・去勢は、いつ頃行うのがよいのだろうか。
 子ネコの間に手術を受けると、ネコの心身の成長に必要な性ホルモンや成長ホルモンが不足して、肉体的にも精神的にも未熟なままに成猫となる。オスネコではペニスの発育不良で、尿のつまる病気になりやすいという説もある。といって、成猫になってからだと、性ホルモンがアンバランスになりやすい。また、恋の季節を1度経験すると、その後、避妊・去勢しても擬似発情し、異性を求めて野外に飛び出すことも少なくない。
 避妊・去勢手術にもっともいいのは、生後8ヵ月ぐらい。成猫となる直前である。そのころに済ませておけば、メスネコなら、将来、乳ガンになる可能性もほとんどないという。

(中略)

 なお、去勢手術とは、オスの睾丸を摘出すること。避妊手術には、卵巣と子宮の間の卵管をカットするケース、卵巣だけを摘出するケース、そして卵巣と子宮の両方を摘出するケースがある。しかし、卵管をカットしても、いつの間にか元通りにつながっている場合もある。また、子宮が残っていれば、まれに黄体ホルモンが残っていて妊娠状態になることもある。さらに、子宮に膿のたまる子宮蓄膿症になる可能性が高い。やはり卵巣と子宮の両方を取りのぞく手術がもっとも安全・確実である。
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避妊・去勢後は肥えすぎに注意
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(前略)

 メスネコの避妊手術について、先に生後8ヵ月ぐらいが一番いいと書いたが、成猫でも、手術自体に問題はない。ときには妊娠中に病院に駆け込むケースもあるという。もっとも、出産後1ヵ月は絶対に避けるべきだ。出産後は、大きく膨らんだ子宮が急激に収縮して大変もろくなっているからだ。
 とにかく、避妊・去勢すれば、愛猫は波瀾万丈の生活とは縁遠くなり、エネルギーの消耗度も低下して、心身ともに安定した暮らし方ができるようになる。しかし、その分、ネコの興味・関心が色気よりも食い気になって肥えやすくなる。何よりも食べすぎに注意したい。
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坂東真砂子自身、動物愛護管理法と避妊手術に関する知識は充分に持っていると思われる。そのうえで、「子猫殺し」を読む。

[こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている。世の動物愛護家には、鬼畜のように罵倒されるだろう。動物愛護管理法に反するといわれるかもしれない。そんなこと承知で打ち明けるが、私は子猫を殺している。
 家の隣の崖の下がちょうど空地になっているので、生まれ落ちるや、そこに放り投げるのである。タヒチ島の私の住んでいるあたりは、人家はまばらだ。草ぼうぼうの空地や山林が広がり、そこでは野良猫、野良犬、野鼠などの死骸がごろごろしている。子猫の死骸が増えたとて、人間の生活環境に被害は及ぼさない。自然に還るだけだ。](7)


野良猫、野良犬、野鼠などの死骸はタヒチの道路にだってあるし、坂東真砂子が育った村でも路傍にあった。そして坂東真砂子は、飼い猫が産んだ仔を、すぐに自然に還した。この方法が、動物愛護管理法第三十七条「生殖を不能にする手術その他の措置」の「その他の措置」に該当するかどうかはわからない。しかし、坂東真砂子は、自分の所有する土地で、自分の所有する猫を始末したのである。人間社会においては、誰にも迷惑をかけていない。猫を含む自然界全体に対しても、「動物は死をムダにしない」「他の生物に食われて自然に形がなくなっていく。それこそが、自然の生命としてもっとも幸せなことかも知れない」(宮崎学)のである。だが、それでも、犬猫にとっても仔を殺されるのがどんなにつらいかは、天の邪鬼タマの話でもわかる。

[愛玩動物として獣を飼うこと自体が、人のわがままに根ざした行為なのだ。獣にとっての「生」とは、人間の干渉なく、自然の中で生きることだ。生き延びるために喰うとか、被害を及ぼされるから殺すといった生死に関わることでない限り、人が他の生き物の「生」にちょっかいを出すのは間違っている。](7)


たとえば犬がつかまえてきた野生の鶏を横取りしたり、道路で拾った鶏の死骸が傷んでいたら犬に譲ったりするのは、お互い様、ということに。何だか犬のほうが損をしているように感じるが、たいしたことではない。

だが、人が犬や猫を飼い、しかも、人の生活を脅かさない程度に数を抑えたり、血統を守ったりするということは、犬や猫にとって、何を意味するのか。

[血統書付きの犬猫でもないと、もらってくれるところなんかない。避妊手術を、まず考えた。しかし、どうも決心がつかない。獣の雌にとっての「生」とは、盛りのついた時にセックスして、子供を産むことではないか。その本質的な生を、人間の都合で奪いとっていいものだろうか。](7)


[飼い猫に避妊手術を施すことは、飼い主の責任だといわれている。](7)


[この問題に関しては、生まれてすぐの子猫を殺しても同じことだ。子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ。避妊手術のほうが、殺しという厭なことに手を染めずにすむ。](7)


坂東真砂子は、避妊手術という方法を選択することができない。なぜなら、それは、「殺しにまつわる精神的葛藤をぴょんと」飛び越す、現代都市生活のシステムと同類だからだ。

[その生き物を殺す仕事は他者に預け(他者=業者は合理化したシステムに預け)、殺しにまつわる精神的葛藤をぴょんと飛びこして、店で売られている肉を、まるでこの世に突然、現れた食べ物であるかのように口にするのは、どこか間違っている。
自分ではできないことを他者に頼むとは、分業、機械化の出発点であり、その末に現代社会が成立している。](2)


避妊手術にも、「殺しにまつわる精神的葛藤」はなくとも、別の葛藤がある。それにしてもこの避妊手術という方法は、坂東真砂子が子供の頃の高知の山村では、存在しなかっただろう。当時は、飼い犬や飼い猫は、間引きするのがあたりまえだった。

その少し前の時代までは、犬や猫だけではなく、人間も、間引きされていた。私の母方の祖母は、やはり高知県の生まれで、間引きされかかった、ときいている。祖母の父方の祖母にあたる人が、首を絞めたそうだ。しかし、祖母の生みの母が、暖めて、息を吹き返させた。蘇生した赤ん坊は九十七歳まで生きて、娘を三人生み、それぞれに孫も生まれて育ったのだ。祖母がこどもの頃に住んでいたのは、佐川町というところ。坂東真砂子が通った高校があった街だ。
坂東真砂子の故郷も佐川町だときいている。
我が家には他にも、幽霊や巫女さんなど、まるで坂東真砂子の小説みたいな話だとか、遊郭や箸拳など、まるで宮尾登美子の小説みたいな話も、いろいろと伝わっている。

ちょっと話がずれてしまったが、つまりは、坂東真砂子のエッセーの、高知の山村の話に、私は、親近感を覚える、ということだ。

そして、坂東真砂子が、動物愛護管理法第三十七条「生殖を不能にする手術その他の措置」の「その他の措置」に該当する方法として、昔ながらの「間引き」をしたとしても、私は、それほど不自然には感じない。それと同時に、人の子を間引きするのと同じように、残酷なことだと思う。人ならば絶対に許されない。だが、猫だと、かわいそうだと思いつつ、仕方が無い、と受け容れる。あたりまえだ。しょせん、私は愛猫家ではなく、犬も猫も飼ったことがないから、冷淡になってしまうが、坂東真砂子が想像した通りに、「世の動物愛護家には、鬼畜のように罵倒される」、「動物愛護管理法に反するといわれる」状態になったことに、むしろ、驚いている。私には、「動物愛護管理法」という法律に、「生殖を不能にする手術その他の措置」を講じるべきという条文があることに、動物愛護家が反対しないで、従っていることが不思議にさえ思える。これも坂東真砂子のいう「暴走機関車」なのか?

[最近、色々な法案が議会を通過しているが、それに関する反応もまた、一度通過したら、もうおしまいだ、変えることはできない、という信仰があるように思える。私たちは、いつだってブレーキをかけることも、軌道修正することもできるのだ。そんな発想が普通にできるようになったら、日本の方向性も、私の歩き方も別のものに変わっていくのかもしれない。](6)



***参照***

http://d.hatena.ne.jp/antonian/20060903/1157282867
あんとに庵◆備忘録
2006-09-03■[文化一版]改めて坂東眞砂子のエッセイを読む

すでに秋秋などと言われているネタだが、島はまだ夏だしな。というより、eireneさんが全部読むといいですよ。と連載をご親切に送ってくださったエッセイを全て目を通したので改めて色々考えてみようかと思う。

何故この一連の騒動が気になったかというと、まず私自身が島と都会をいったり来たりという生活で、野生と管理社会、田舎と都会、そうした生活の中のギャップというものの中間点に身を置いているせいか、彼女が感じる位相というものを常に実感させられているからといってもいい。だから彼女の記述に嫌悪を感じなかったのかもしれないし、かといってやはり自分は殺さないだろうと思う故に何故選ぶのかな?と、そういう私自身が感じる位相について彼女のエッセイを回を追って紹介しながら、自分もあれこれ考えてみようかと。



Because It's There
http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/

日本の動物愛護管理法を紹介しています。

直木賞作家・坂東眞砂子氏の「子猫殺し」問題(上)

http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-135.html
直木賞作家・坂東眞砂子氏の「子猫殺し」問題(中)~フランスのペット法事情
http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-137.html

注目!!】
コメント欄での、春霞さんと美也子さんの議論がおもしろいです!!
 ↓
直木賞作家・坂東眞砂子氏の「子猫殺し」問題(中)(追記)~J-CASTニュースがタヒチの動物愛護団体に問い合わせ
http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-138.html

動物愛護法に基づく基準である、「家庭動物等の飼育及び保管に関する基準」(平・14・5・28 環境省告示第37号)を紹介しています。

直木賞作家・坂東眞砂子氏の「子猫殺し」問題(下)~「物」から「者」への狭間で
http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-139.html


真プライベート・ロード
http://madammizushima.seesaa.net/

ここのコメント欄にも美也子さんと春霞さんの議論があります。

2006年08月25日 親近感
http://madammizushima.seesaa.net/archives/20060825.html

2006年08月31日 論争中
http://madammizushima.seesaa.net/archives/20060831.html
春霞さん、もう充分。
http://madammizushima.seesaa.net/archives/20060903.html


London bridge
http://belena.blog70.fc2.com/
坂東眞砂子さんのコラムのこと
http://belena.blog70.fc2.com/blog-entry-150.html
坂東眞砂子さんは「いごっそう」
http://belena.blog70.fc2.com/blog-entry-157.html
生類憐れみの令が復活か
http://belena.blog70.fc2.com/blog-entry-160.html
生類憐れみの令の見直し
http://belena.blog70.fc2.com/blog-entry-162.html

動物愛護管理法の改正に関する国会答弁が紹介されています。

動物愛護法と酒鬼薔薇事件
http://belena.blog70.fc2.com/blog-entry-164.html


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この記事へのコメント

2006年09月03日 12:20
お疲れ様です、すごくわかりやすくて、僕の頭の中も整理されました。
「いのち」に対して基本的なことを書いている。
>死の実感の喪失は、自分の命は永遠であるという幻想ももたらす。云々…は

先日観た映画『ゲド戦記』で繰り返しメッセージされるのです。
魔女のクモは永遠のいのちを得ようとするわけ。
クモのヒステリックな業が哀しかったです。
>去勢後は肥えすぎに、注意!
実感として身にしみます(笑い)。
terutell
2006年09月03日 12:40
葉っぱ64さん、コメントありがとうございます。『ゲド戦記』ですか。映画はまだ見ていないけど、昔、本を読んだのに、内容をほとんど忘れています。『モモ』『果てしない物語』のほうが華があるような気がしてすきだったのです。葉っぱ64さんのブログで紹介されていた、藤原新也さんの「メメント・モリ」を見に行って、白骨や死体を見て、どきっとしました。でも、こういうことなんだ、と思って、引用させてもらいました。ありがとうございました。
2006年09月04日 01:19
はじめまして。
「崖からの子猫大量投げ殺し」賛成派の立場のご意見、大変興味深く読んでいています。
さて、いくつか。動物愛護管理法に触れていますが、「家庭動物等の飼育及び保管に関する基準」(平・14・5・28 環境省告示第37号)はご存じないのでしょうか? 
それと、不妊手術について。色々な方法があることはよくご存知だと思いますが、大分前からインプラント手術を選択する方はかなり多いと思います。
terutell
2006年09月04日 08:37
春霞さん、コメントありがとうございます。「そこに空地があるから」では、「坂東真砂子の子猫殺し問題(上)(中)」を紹介させていただきました。法律について詳しく書かれているのでたいへん参考になります。「(下)」も、坂東真砂子さんのエッセーの感想をアップする前に読みました。それで、「~基準」も、このエントリーでも紹介しようかと思いましたが、ここでは、動物愛護管理法とならんで、動物愛護家がなぜ反対しないんだ、という趣旨で取りあげることになるので、それなら本体の法律だけでもいいだろうと思って省きました。(下)はまた、「そこに空地があるから」からリンクしたいと思います。
terutell
2006年09月04日 08:45
春霞さんへ。続きです。インプラント手術というのは、雌のおなかにピルを埋め込むというやつでしょうか。あれは一回切りで済まないで、必要に応じて(?)また埋め込むのじゃありませんでしたか。どっちにしろ、人間に対しては、そういうことをしませんね。人間と猫を区別するのはかまいませんが、どういう方法であれ、飼い猫を避妊しなければならないと飼い主に義務付けるのは殺生じゃないかと思います。かといって、子猫殺し、間引きは、それこそ殺生ですが、田舎では間引きできないやつは猫なんか飼うな、という雰囲気のところもあったらしいですし。飼い主の選択に任せればいいと思います。
2006年09月04日 14:31
トラバ有り難うございます。
坂東と同じような環境にいながらしにして彼女と同じような考えに到らないその差違はなんだろうな?とずっと疑問でしたがエッセイを全部読んで、倫理ではなく彼女とは死生観が根源から違うと気づきました。

尚、間引きも、避妊も、飼い主、つまり人間が生き物を管理するというスタンスとしては代わりはないでしょうね。動物愛護の精神もキリスト教的な「人間が動物の頭であり、その生死、その生き方への介入は人間の責任に於いてやることである」という発想だとは思います。つまりかつてもいまも殺傷権は人にある事には代わりはないが、現代は「殺」の方向へ向かわなくなったという事だと思います。ですから上記の考え方であるなら避妊は矛盾しないという事になるのでしょうね。
terutell
2006年09月04日 17:01
あんとに庵さん、コメントありがとうございます。そちらの「感想」の方が、坂東さんのエッセーの連載順になっているので、初めて読む人にとって親切かと思います。私のは、全部まとめてシャッフルして考えたほうが考えやすかったものですから。

あんとに庵さんと坂東さんの死生観の違いというのもおもしろいですね。いや、とにかく、島の暮らしの話がおもしろいです。土葬を見ると、お化けが出ないかな、って、私も思ってしまいます……
2006年09月04日 20:26
たぶんうちの島はタヒチより田舎だと思います。昔は風葬もあったのですよ。その風葬の場所は一種の霊場で禁域の空気を漂わせています。死は生の連続する先にあるが同居しているという感じですね。

しかし春霞さんがおっしゃってますがてるてるさんは『「崖からの子猫大量投げ殺し」賛成派』なんですか?そうは思ってませんでしたが、色々な受け止め方をする方がいるのですね。
oliva
2006年09月05日 04:06
はじめまして!

>祖母がこどもの頃に住んでいたのは、佐川町というところ。坂東真砂子が通った高校があった街だ。

坂東さんの通った高校は佐川町ではなく、高知市の土佐高校です。
卒業生の中では、黒鉄ヒロシや倉橋由美子が特に有名でしたが、今度の猫騒動で坂東さんが首位に躍り出そうですね。
2006年09月05日 05:46
>飼い主の選択に任せればいいと思います。
「家庭動物等の飼育及び保管に関する基準」を挙げたのは、「飼い主の選択に任せる」といった単純なことではないことが書いているからです。「改正動物愛護管理法Q&A」などを読むことをお勧めします。
インプラント手術について触れたのは、リンク先の情報は「1995年」の頃のもので古すぎると思ったからです。terutellさんが猫を飼っていれば、親しい獣医さんに聞けばちゃんと教えてくれます。

>佐川町というところ。坂東真砂子が通った高校があった街だ
坂東氏の個人情報をここまで暴露していいのでしょうか? 私は疑問に思います。私は坂東氏の行為は(特に法的に)批判しますが、個人情報に触れることには気をつけています。法を破ることはしたくないので。
terutell
2006年09月05日 06:07
olivaさん、御指摘ありがとうございます! さっそく、直しました。森岡正博さんも、土佐高校の出身で、坂東さんの一年後輩だと、ホームページの日記に書いていました。佐川の地名は、うちの祖母からよくききました。そこから家の事情で十二歳ぐらいでそれこそ山間の村の親戚に養女に行ったらしいです。といっても養父母は全国を転勤で転々としていたので祖母も一緒にあちこち行ったらしい。おもしろい話が一杯あったんですが、数年前に天寿を全うしました。
terutell
2006年09月05日 06:12
あんとに庵さん。風葬があった場所というのは神聖な場所なんですね。「もがり」もしたんでしょうか。そういう習俗で収められていた人の心というものは、その風習がなくなった後、何で収められるようになったのかな。
terutell
2006年09月05日 06:17
私は、「MAOlog 風立つままに」さんのところで、坂東さん擁護の立場だと自己紹介しています。でも別に、『「崖からの子猫大量投げ殺し」賛成派』になったわけじゃないです。私がもしもタヒチにいて猫を飼っていても、そんなことはしないんじゃないかな。そして、最初は子猫を産ませてしまうけど、結局、避妊手術を受けさせてしまうんじゃないかな。で、他の飼い主が、崖から投げ落として殺すときいたとき、そりゃひどい、と言うかもしれません。でも、著書の不買運動だの、法律違反で訴えるだのということはしません。
一安見
2006年09月05日 07:03
ども。はじめまして。ここ数日こっそり覗かせてもらってます。犬猫版の今日の午前3時~6時の会話が短いながら面白いかもと思ったので宣伝しに来ました。シリーズを企業向けホラーという路線で執筆してるのではという視点でした。既知でしたらお許しを。それではご連絡まで。
terutell
2006年09月05日 09:09
一安見さん、書き込みありがとうございます。御紹介の部分を含めて、抜粋を作りました。「後記事(2006/09/05)」で読めます。
2ch犬猫大好き板から抜粋
http://terutell.at.webry.info/200609/article_2.html
2006年09月05日 15:11
せっかく「議論が面白い」と紹介してくださったのに、私が議論をぶち切ってしまってすみません(笑)。
TBありがとうございました。自分とこのエントリ上げてからこちらを読ませていただきましたが、私がエッセイから受け止めたものは、そうそう外れてはいないな、という感触を得ています。日経の夕刊が読めないので、ありがたかったです。
坂東さんについて、日本人の戦争や法案成立へ向う姿に重ねて一般化するのはいかがなものか? と思いましたが、そこに現行法批判を含めているとの読みは「あり」でしょうね。
oliva
2006年09月05日 15:51
お祖母さま、佐川町からさらに山間に養女に行かれたのですね。
佐川より山間といえば、「平らな土地は学校の校庭だけ」みたいなところになりそうですね。
私は祖父母と暮らしたことがないので、巫女や幽霊のような「坂東真砂子の小説のような話」はあまり聞いたことのないのですが、「お盆に泳ぐと、亡くなった人の霊が伽ほしさに足を引っ張って溺れさせる」という理由でお盆期間の海水浴を禁じられたことがあります。
ちなみに、私は佐川町にちかい海岸の出身で、土佐高校OGです。
terutell
2006年09月05日 17:27
美也子さん、いらっしゃいませ! あんとに庵さんのブログにある坂東エッセーの感想は、ちゃんとエッセーの発表順になっていて、わかりやすいです。美也子さんと春霞さんの議論は、坂東さんの文章を緻密に検証していたので、おもしろかったです。どこまでが文意として認められ、どこからが読み手の誤解曲解となるか。ちょうど今、2chの「犬猫大好き板」で、坂東真砂子の文章の検討とはまた違うやりかたで、坂東批判のなかにいかに誤解曲解憶測偏見が含まれているかがわかるような議論がありました。
terutell
2006年09月05日 17:31
>olivaさん
>、「お盆に泳ぐと、亡くなった人の霊が伽ほしさに足を引っ張って溺れさせる」という理由でお盆期間の海水浴を禁じられたことがあります。

うちでは、お盆には地獄の釜の蓋があくから泳いだらあかん、と言われていました。うちの祖母は、山奥の谷川でひとりで洗濯をしていたら、しーんと静かで、「なんかでてきそうな気がして」、思わずあたりを見回したそうです。ほんで、夜、座敷で寝ていると、ほんまになんかでてきたそうですよ~~~!!o(><)o

土佐高校って、地元出身で事業で成功した人が寄付して作った私立学校なのですね。ウィキペディアで読みました。まるでUSAの事業家が町に図書館なんかを寄付する話みたいですね。
2006年09月05日 22:09
terutellさんの情報収集はすごいですね。
ここ数日ブログを見守っていました。
(意見を書いても平行線なので、いただいたレス
に対してどこまで返したらよいのやら…と思って)

本日の日経の夕刊に例の記事に対する
特集が載っていましたよ。
今なら駅の売店とかにいけば買えますよ。
よろしかったら。
あんとに庵
2006年09月05日 23:10
terutell様>
土葬にすることにはじめすごく抵抗があったそうです。しかしやがて土葬が一般的になり、今度は数年前に火葬場が出来たのですが、これまた土葬でないと嫌だという抵抗感を持っている人がいるということで選択制だそうです。で、「洗骨」という習慣があってそれを今でも守っているからなんですね。風葬も土葬もその習慣を守ることは出来ますが火葬になるとそれが出来ない。それで嫌がる人もいるそうです。

因みに島の骨壷はすごく大きくて、墓も原始的なものですとその骨壷を剥き出しで土にそのまま埋めてあるんですね。うちの近所にもそういう墓場があります。海の近くは死者の住む地なんです。ニライカナイへ帰るということなのかもですね。
あんとに庵
2006年09月05日 23:17
>坂東さん擁護の立場だと自己紹介しています。でも別に、『「崖からの子猫大量投げ殺し」賛成派』になったわけじゃないです。

そうですよね。どこ読んでもそういう記述はない。
同じような構造が坂東批判にもあります。「日常的に殺している」とか「日本嫌い」とか書いてもいない形容が為されるような紹介等、読み手側のバイアスが拡大したような不正確なものとなっている。
そういうバイアスは、なにかを善悪の二元論に収めておかないと気が済まないような思考からくるのではないか?ただ、それは坂東自身にも言えることでもあり、都会対田舎 文明対野生というものを善悪の二極構造に置くその思考がどーも反発を産んでるんだと思うのです。
terutell
2006年09月07日 08:24
>ぽてとさん

情報ありがとうございました。日経の夕刊は、ここらではコンビニエンスストアにも置いてないようでした。たぶん、オンラインでどこかで抜粋でも読めると期待しております。

>あんとに庵さん
やはり、風葬から土葬に変わるとき、また風葬から火葬に変わるとき、抵抗があったのですね。「洗骨」は、遺された人が思いを収める大切な行事だったんだろうなあ。代わりに、他の行事を誰かが発明したとしたら、それが新しい習慣として広まるかも?
むき出しで地面に埋められている大きな「骨壷」、すごいですね。
京極夏彦の小説では、主人公の京極堂が骨壺に干菓子を入れてるけど、……
すみません。
m(__)m
terutell
2006年09月07日 08:25
>。「日常的に殺している」とか「日本嫌い」とか書いてもいない形容が為されるような紹介等、読み手側のバイアスが拡大したような不正確なものとなっている。

そうなんですよ。それで、報道は、みんなが興味がなくなってきたかな、って思ったら、もう、それ以上、検証しないで、ただ報道するのをやめるだけだし、個人も、間違いを指摘されても、元の文脈にそってどこからどうずれてきたかが明らかにされても、責任をとらないんです。そんなことはもう興味がない、と、散々、誹謗中傷しておきながら、自分が誹謗中傷したことについて、もう、興味がないから、と捨ててしまう。

坂東さんは、どうでしょうね。同じ二元論でも、責任をとっているんではないでしょうか。つまり、ずーっと二元論で推し進めて一つの世界を構築してしまう、っていうかたちかもしれませんけど。小説家ですからねえ。
terutell
2006年09月08日 19:58
「真プライベートロード」さんの2006年9月5日「命によせる思い」の本分とコメント欄で、とてもすてきな対話がおこなわれています。
どちらも、自分で猫を飼った体験に基づいて、喜び・悲しみが、率直に語られています。
この2週間ほどのあいだ、坂東真砂子さんの「子猫殺し」関連の議論を追っていると、「ペット禁止」という意見も何度か見ました。けれども、私は、ペットそのものではなくて、ペットの売買を禁止すればいいのに、と思います。人身売買の禁止と同じで。動物愛護管理法と名のつく法律を持ち、アニマルライツを認めようというのであれば、まず一番に、売買を禁止するべきじゃあ、なかったのかなあ。
terutell
2006年09月08日 20:09
そうはいっても、食肉用、実験用、ドラマや映画などの娯楽用、盲導犬、などなどの売買は必要だから、愛玩用動物の売買だけを禁止する合理的な理由は? とか、愛玩用動物の定義は? などという問題がありますね。
2006年09月11日 15:59
以前書き込みをしましたが
もう猫の避妊・間引きには、人それぞれの見解で決着がつかない
ので、エッセイの文章の書き方について
この場を借りてお尋ねしたいです。

坂東さんのエッセイは、動物の生について
考えさせるのに適切であったでしょうか?
内容をみるかぎり、ペットをかってる人にこそ読んで欲しかったのですよね?
そして、動物と係わることで避けられない問題を、
読んだ人に考えて欲しかった。

でも結果はどうですか?
考えるべき人達はショックを受け、怒り、冷静さを失ってる人もいます。
擁護はほとんど動物を飼っていない人ばかり…。

私も最初読んだとき、すごく頭にきました。
子猫を殺したという事実もそうですが
彼女の文書に。
ケンカを売られている気分でした。
週間現代に載せられた反論記事をみて、
ああ、結局自分を正当化したいだけだ………
自分が一番、生死のことを考えてるといいたいんだ。
避妊手術を選ぶ人は偽善者で
どんな気持ちで避妊させるのか、って対話する気はない
自分の意見だけ垂れ流しなんだ………と思いました。
2006年09月11日 15:59
つづき

本来なら、読者に問いかけてしかるべき記事だったのではないですか
批判がくるだろう、といってあおり立てるような文章で
実際あおられた人たちはペット馬鹿扱いですか?
彼女が飼い猫をどんなふうに飼育しているかはこのさいいいです。
自分の文章を読み直してほしいです
nick
2006年09月14日 01:23
動物愛護法の第三十七条では、みだりに繁殖する「おそれがある」と認める場合に、その繁殖を「防止」することについて規定しています。
同条に規定する「その他の措置」は、繁殖する「前」に行う措置(避妊等)であり、既に繁殖した後の措置(間引き)ではないと思います。

つまり、既に繁殖した後で「間引き」とかせよ、と言ってるのではなく、みだり繁殖しないよう「防止」せよと言っているのです。

したがって、terutellさんのご感想文の最後で、第三十七条を「間引き」の根拠条文とされている所は、法律解釈として違うのではないかなと考えてます。

第三十七条
 犬又はねこの所有者は、これらの動物がみだりに繁殖してこれに適正な飼養を受ける機会を与えることが困難となるようなおそれがあると認める場合には、その繁殖を防止するため、生殖を不能にする手術その他の措置をするように努めなければならない。
ゴーマン義則
2006年11月20日 22:36
作家だから、読者の心情に配慮せず、殺害を美化できる。何のために間引く必要があったのか。自己の創作のための実験か。現代社会の風潮を諭すためか。猫などの生き物と暮らしたことのない人が、エッセーの中だけの解釈で、殺害を弁護する。リアリティにかけている。言葉を操る人達なのだから、人々の心の痛みや、動揺,反響を予測できる。であれば、挑発だ。殺害者とその支援者たち、ゴーマンなあなたたちに虐げられ死、猫ばかりでなくわたしたち庶民を経済的ばかりでなく精神的にも追い詰めている。
難しい
2006年11月27日 13:35
正直申し上げまして、私には難しすぎてわかりません。ただ、殺すという行動を起こしてしまうことが悲しい。殺すという行動を起こさなければいけない状況まで追い詰められた坂東さんの心が悲しい。
そして子種というものに命が宿っていると坂東さんは思ったのですね。生命倫理?な問題だとは思うのですが、そうなると男の人が一人Hのも子種殺しになるのでしょうか・・・?女の人も妙齢で身体的に問題がなければ毎月卵子を殺害してる・・・になるのでしょうか?
子宮内避妊具(IUD)など一度入れると10年持ちますしいいんじゃないかなーと、単純に思ってみたり。でも猫エイズとかそういう別の問題もあるのかしら?難しい問題でどちらが正しいというのは言えないとは思いますが子供を持つ母親として、また犬をファミリーの一員としてるものとして、殺害は悲しいことだと思います。単純なコメントですいません・・・。

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