ブログではウヨもサヨものびのびできるようにしようといいたい
私は、2ちゃんねるでプロ市民と呼ばれたり、Yahoo!掲示板で自分のブログのことを左翼団体が個人情報を集めるために開設しているブログだといわれたりしたことがあるのですが、前者はどうにも自覚できず、後者は事実と異なります。
自分がネット左翼・サヨクなのか、よくわかりません。ただ、南京大虐殺があった、従軍慰安婦の強制連行があった、夫婦別姓に賛成、などの意見を持っているので、こういう意見をいう人間は、サヨ、ブサヨ、プロ市民とよばれるのだろうなあ、と思っています。
それに、別に朝日新聞がきらいじゃないし。
それに、小倉秀夫さんの造語のコメントスクラムという表現をうまいと思っているし、別に炎上といってもいいけれど、炎上することがはずかしいことではなく炎上に追い込むほうがはずかしいと思っているし。
ブログではブログ主はどんなあほなことをいってもいいという習慣を育てましょうよ、と思っているのです。そのためにコメントをつける人はブログ主に削除されても文句をいってはいけないし、ブログを閉鎖した人の個人情報をさがして2ちゃんねるでさらしてはいけない。
多数の反論コメントや2ちゃんねるでの祭りに恐れをなしてブログを閉じた人に対して、なぜ議論を続けない、反論しないんだ、といって怒り、さらに2ちゃんねるで個人情報を集めて晒す、なんてことは、まるでストーカーみたいです。
議論を続けろと人に強要するのはよくない。
でも、多くの人は、インターネットでさがせる個人情報ならいくら集めても晒してもいいし、ブログを閉鎖に追い込むことは、だめなことを言ってるブログを追放する、正当な私的制裁だと思っているみたいですね。
そういう発言をいくつかのブログで見ました。
そんな私的制裁が正しいこととされるなんて、こわいじゃないか、と思います。
なんだか今のネットでは、サヨとみなされたブログがサヨぎらいの人々に殺到されて2ちゃんねるで祭りをされてつぶされたり、つぶれろつぶれろと言わんばかりに毎日罵倒や嫌味やいやがらせを続けられたりしていることが続いて起こっていて、こわいです。いやがらせをしている人々は、正当な批判だというけれども、まるでわざとじゃないかと思うぐらいに、ブログ主の発言をすべて曲げて悪く取って批判し、反論をせよと迫る。それはいやがらせだと思います。ブログをつぶした、炎上させた、といって自慢し、炎上することははずかしいことだぞといって嫌味をいい、炎上させられるほうが論理的に穴のあることをいうから悪いんだ、と居直り。どこまでいってもその勢いのとまることのない、サヨク嫌いの方々。その人数の多さ、鼻息の荒さ、まるでやくざみたい。こわい、こわい。こわいよー。
まあもっとも、小倉秀夫さんのブログのコメント欄の、小倉さん批判非難のコメントは、同じようなことを述べているものが多くて、馬鹿の標本ここにあり、と思うし、小倉さんも、こんな付和雷同の連中に何を言われようと平気だと思うけど、でも、付和雷同している人々は、小倉さんは誰にも賛同してもらえなくて、間違っていることは明らかなのにちっとも認めない、困った奴、どうせほんとは内心負けていることがわかっているのにわざと強がっているんだよ、みたいなことを書いて、とにかく、高飛車。
ほんとに付和雷同して自分は正しい、常識がある、良識がある、普通だ、まともだ、っていってる人たちほど、手に負えない、みっともない、どあつかましい、いけずうずうしい、しかもその勢いの強さがばかにならない、困ったものはないなあ。
こんなにまで、小倉さんのブログで小倉さん批判非難のコメントを書いている人々に対して、失礼なことを書いたなら、どんなに強烈な社会的制裁を受けることか、今から覚悟しておきます。それはきっと当然の、正当な、良心的な、ごりっぱな、正義の、正しい、制裁なんだと思います。ああやっぱりこわいなあ。こわいよー。
どんなあほでも天才でも、自分のブログではすきかってなことがいえますよ、削除もすきかってにできますよ、何か言った為に毎日100件も批判非難コメントが殺到したり、それに対して誠意のある回答をしないとかって責められたり、2ちゃんねるにさらされたりしませんよ、という習慣とか作法とかを作ることができたら、そのほうが、結果的に、みんながブログをうまく使って、みんなが長く楽しめると思います。
*関連ブログ
nagoyan 礼儀作法 2005/02/13 17:19
http://dainagon-end.at.webry.info/200502/article_11.html
圏外からのひとこと
2005-02-15 [長年日記] + 駝 ・ 鳥 +:礼儀作法について
http://amrita.s14.xrea.com/d/?date=20050215
2005-02-16 [長年日記] 「言説のフォーマット」という権力とそれにともなう責任
http://amrita.s14.xrea.com/d/?date=20050216
小倉秀夫の「IT法のTop Front」 2005年02月15日 プロバイダ責任制限法第4条の見直し
http://blog.goo.ne.jp/hwj-ogura/e/2cdde17365f2ff70e71f374756f8c734
*2005/02/17追加:自己批判
「成城トランスカレッジ」さんの、次の御発言は、このページへの言及ではありませんが、にもかかわらず、このページで書いた内容への批判にもなると思います。反省し、以後、気をつけます。
2005-02-14 反感を覚えないでね。
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20050214
*その他、このページへの御批判
世界の中心で左右をヲチするノケモノ 2005年2月16日(水) ■ [(-@∀@)ヲチ]やばいやばい
http://d.hatena.ne.jp/plummet/20050216/p12
トラックバック欄の「はむはむの煩悩 2005.02.17 Thursday コメントスクラム?はあ?」
自分がネット左翼・サヨクなのか、よくわかりません。ただ、南京大虐殺があった、従軍慰安婦の強制連行があった、夫婦別姓に賛成、などの意見を持っているので、こういう意見をいう人間は、サヨ、ブサヨ、プロ市民とよばれるのだろうなあ、と思っています。
それに、別に朝日新聞がきらいじゃないし。
それに、小倉秀夫さんの造語のコメントスクラムという表現をうまいと思っているし、別に炎上といってもいいけれど、炎上することがはずかしいことではなく炎上に追い込むほうがはずかしいと思っているし。
ブログではブログ主はどんなあほなことをいってもいいという習慣を育てましょうよ、と思っているのです。そのためにコメントをつける人はブログ主に削除されても文句をいってはいけないし、ブログを閉鎖した人の個人情報をさがして2ちゃんねるでさらしてはいけない。
多数の反論コメントや2ちゃんねるでの祭りに恐れをなしてブログを閉じた人に対して、なぜ議論を続けない、反論しないんだ、といって怒り、さらに2ちゃんねるで個人情報を集めて晒す、なんてことは、まるでストーカーみたいです。
議論を続けろと人に強要するのはよくない。
でも、多くの人は、インターネットでさがせる個人情報ならいくら集めても晒してもいいし、ブログを閉鎖に追い込むことは、だめなことを言ってるブログを追放する、正当な私的制裁だと思っているみたいですね。
そういう発言をいくつかのブログで見ました。
そんな私的制裁が正しいこととされるなんて、こわいじゃないか、と思います。
なんだか今のネットでは、サヨとみなされたブログがサヨぎらいの人々に殺到されて2ちゃんねるで祭りをされてつぶされたり、つぶれろつぶれろと言わんばかりに毎日罵倒や嫌味やいやがらせを続けられたりしていることが続いて起こっていて、こわいです。いやがらせをしている人々は、正当な批判だというけれども、まるでわざとじゃないかと思うぐらいに、ブログ主の発言をすべて曲げて悪く取って批判し、反論をせよと迫る。それはいやがらせだと思います。ブログをつぶした、炎上させた、といって自慢し、炎上することははずかしいことだぞといって嫌味をいい、炎上させられるほうが論理的に穴のあることをいうから悪いんだ、と居直り。どこまでいってもその勢いのとまることのない、サヨク嫌いの方々。その人数の多さ、鼻息の荒さ、まるでやくざみたい。こわい、こわい。こわいよー。
まあもっとも、小倉秀夫さんのブログのコメント欄の、小倉さん批判非難のコメントは、同じようなことを述べているものが多くて、馬鹿の標本ここにあり、と思うし、小倉さんも、こんな付和雷同の連中に何を言われようと平気だと思うけど、でも、付和雷同している人々は、小倉さんは誰にも賛同してもらえなくて、間違っていることは明らかなのにちっとも認めない、困った奴、どうせほんとは内心負けていることがわかっているのにわざと強がっているんだよ、みたいなことを書いて、とにかく、高飛車。
ほんとに付和雷同して自分は正しい、常識がある、良識がある、普通だ、まともだ、っていってる人たちほど、手に負えない、みっともない、どあつかましい、いけずうずうしい、しかもその勢いの強さがばかにならない、困ったものはないなあ。
こんなにまで、小倉さんのブログで小倉さん批判非難のコメントを書いている人々に対して、失礼なことを書いたなら、どんなに強烈な社会的制裁を受けることか、今から覚悟しておきます。それはきっと当然の、正当な、良心的な、ごりっぱな、正義の、正しい、制裁なんだと思います。ああやっぱりこわいなあ。こわいよー。
どんなあほでも天才でも、自分のブログではすきかってなことがいえますよ、削除もすきかってにできますよ、何か言った為に毎日100件も批判非難コメントが殺到したり、それに対して誠意のある回答をしないとかって責められたり、2ちゃんねるにさらされたりしませんよ、という習慣とか作法とかを作ることができたら、そのほうが、結果的に、みんながブログをうまく使って、みんなが長く楽しめると思います。
*関連ブログ
nagoyan 礼儀作法 2005/02/13 17:19
http://dainagon-end.at.webry.info/200502/article_11.html
圏外からのひとこと
2005-02-15 [長年日記] + 駝 ・ 鳥 +:礼儀作法について
http://amrita.s14.xrea.com/d/?date=20050215
2005-02-16 [長年日記] 「言説のフォーマット」という権力とそれにともなう責任
http://amrita.s14.xrea.com/d/?date=20050216
小倉秀夫の「IT法のTop Front」 2005年02月15日 プロバイダ責任制限法第4条の見直し
http://blog.goo.ne.jp/hwj-ogura/e/2cdde17365f2ff70e71f374756f8c734
*2005/02/17追加:自己批判
「成城トランスカレッジ」さんの、次の御発言は、このページへの言及ではありませんが、にもかかわらず、このページで書いた内容への批判にもなると思います。反省し、以後、気をつけます。
2005-02-14 反感を覚えないでね。
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20050214
# seijotcp
『(前略)
上述のとおり、論争相手が間違っていたからといって、対立項たる自分の正当性が確保できるわけではありませんし、仮に批判相手が「フェアでない」として批判するのであれば、「これがフェア」という対話方法と根拠を提示しつつ批判するべきだと思います。
(中略)
嘲笑的な態度は、論争で優位な立場を獲得するには有効な手段ですが、それでは相手の視点の不公正さ=アンフェアさを批判する際には(多くの場合)妨げにもなるでしょうし、「嘲笑できたら勝ち」あるいは「勝利を叫ぶための嘲笑」という態度では議論にはなりません。
嘲笑をうまく使う人の中には「いかに相手を負かすか」という類のディベート術に長けている方も多いと思いますが、chikiはその手の手法にのみ頼ったディベートは他者の声に耳を傾けておらず、とても対話とは呼べないと思っております(もちろん、嘲笑的な批判が必要な時もありますが、その際には必ず根拠の明示と節度が必要になります)。
ところが、例えばウヨvsサヨ、AvsB、○vs×、というような図式で議論になった時点で、相手より少しでも自分側を優位に立たせようとする点に主眼が置かれる<綱引き>のような形の議論に非常に陥りやすいんですね。この手の議論で頭を抱えるのは、議論の主導権をいかに<自分サイド>に引き込むかに議論の目的=ENDが置かれてしまい、肝心の問題がスルーされ、なおかつ時として酷いバッシングや差別、ラベリングが黙認されることです。また、これはあくまで個人的な感情ですが、何かしらの発言をすることで(本人が無自覚であっても)明らかに何らかの利益に加担しているにもかかわらず、「自分ほどフェアな視点を持った人はいない」と思い込んでしまう義憤者を多くみなければならないのが不快です(言うまでもなく、「相手の論理的矛盾が見える立場にいる・ゆえに・自分はより広く公正な視座を持っている」というのは非常に初歩的な誤解です)。
(中略)
terutellさん>(前略)あらかじめ雑感だけ述べておきますと、chikiは小倉氏の立場や発言の仕方の多くに賛成できないところがあります。朝日や「サヨ厨」として祭られる方の意見に関してもにも同様です。
(後略)』
*その他、このページへの御批判
世界の中心で左右をヲチするノケモノ 2005年2月16日(水) ■ [(-@∀@)ヲチ]やばいやばい
http://d.hatena.ne.jp/plummet/20050216/p12
トラックバック欄の「はむはむの煩悩 2005.02.17 Thursday コメントスクラム?はあ?」
この記事へのコメント
http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/200502
参考リンク先のリンク元に目を通さずに記事を書かれていることがよく解りました。
個人的にはブログをこの記事のような流れに持っていくならコメント欄をなくしてTBをもっと活用すればいいんじゃないかと思ってますが。
野次馬の発言を排除するわけですが野次馬はそもそも付和雷同するものだし。野次馬に見てほしいけど発言してほしくないというのもまあアリでしょう。閉じていく感じであまり好きではありませんけど。
ウヨクとサヨクや中道の呼び名を乗り越えて世の中を見つめなおすことが必要と思うよ。 http://love.ap.teacup.com/kouhei/
同じ意見が多数存在することが馬鹿には繋がらない。
>ほんとに付和雷同して自分は正しい、常識がある、良識がある、普通だ、まともだ、っていってる人たちほど、手に負えない、みっともない、どあつかましい、いけずうずうしい、しかもその勢いの強さがばかにならない、困ったものはないなあ。
「正しいと思っている」という人間がダメな理由を付け加えないと中傷にしかならない。何ゆえ自分の意見を正しいと思うことが間違いなのか?そこ。
>どんなあほでも天才でも、自分のブログではすきかってなことがいえますよ
「好き勝手」な結果が、根拠不足での中傷になってしまうようではとても認められたもんじゃない。
そう、そしてここが「なぜ議論を続けない」という感情に繋がる。
「馬鹿の標本」なら馬鹿の理由が欲しい。単に続けたくないから、「ブログ主は好き勝手いえるから」で根拠の説明なく「馬鹿の標本」といわれることを認めなければいけないのか。
ここが問題だ。
申し訳ありません、一つご確認させていただきたいのですが
ブログ主様ご自身はご自分のブログ上で、
他の方と議論をするおつもりはないということでしょうか?
たぶん「馬鹿の理由が欲しい」に対しては、「それはそちらが勝手に思っていることで、
こちらには関係のないこと」という認識なのではと思います。
そして、このブログの管理人さんがもしもそのような考え方をお持ちだとしても、
それは個人の自由だと思います。他の考え方を押しつけるわけにはいかないでしょう。
私自身は管理人さんとはちがう意見を持っている者ですが、
小倉氏のようにネット右翼を募集したり、「コメントスクラムは大したことない」と
いう方と違って、ここの管理人さんは「怖い」と書かれているわけですから、
『問題』として突きつけるのは酷ではないかと思います。
(管理人さんあてのコメントに対してコメントするかたちになってしまい、
申しわけありません)
言い訳作りのために閉鎖しただけですが?
2ちゃんねらー達を只の無法者と定義しているようですが、無法者なのは
実際閉鎖に追い込まれた者たちだと私は思うのですが。
「ごめんなさい」この一言が言えないようでは^^;
結果的に潰れたのを見て喜んでいるのとでは
随分意味合いが違うと思うんですけどね。
「私的制裁」ってのも何か違う気がするなぁ。
二つの記者ブログ炎上で彼らの個人情報を探した人達は、
あくまで興味本位で行動しただけだと思いますよ。
私は
『(自分から見て)凄くあほなことを言ってるブロガーがいて、みんなが「こいつあほだー」と言って喜んでいたらブロガーがキレてblogをたたんでしまった。』
というのが本質に近いんじゃないかと思います。で、
『こんなあほなことを言ってるのはどこのどいつだ?と思って調べてみたらあっさりインターネット上で情報が見付かってしまった』
terutellさんはどうも、
『自分が気に食わない意見の奴がいるから、人を呼びよせていやがらせをして、最後には個人情報を暴くようなリンチを行い、言論を封じた』
と思ってらっしゃるようですけども。
意見に対し意見を言いたくなるのは当然ではないかと。
----
いや、突きつけると言うにはちとニュアンスが違いまして、
>「それはそちらが勝手に思っていることで、こちらには関係のないこと」という認識なのではと思います。
「自分のブログではすきかってなことがいえますよ、」のくだり見る限り確かにそんな感じなんですが。
「このバカども」と言われて「分かりましたどうぞ好き勝手バカと呼んでください。ブログ主の自由を守るためにブログ主なら当然の権利です」なんて言うのが常識なのでしょうか?
「問題だ」と言うのは、
『こんな当然の疑問に対する解決策を用意しないと(まさか「もちろん当然です」なんていわないでしょうし)それは通用しない、その意見を一般に広めるにはそこが問題だ』
という指摘……ああ、なんにせよ突きつけは突きつけ、「言ってはいけないこと」に分類されているのでしょうか?
↓
まてよ?まさかこんな当然の疑問(とサスケット自身は思っている)もブログ主に遠慮して声も出せないのだろうか。“ブログ主様が怯えているのに「自分は正しい、常識がある、良識がある、普通だ、まともだ」と思い込んでコメントスクラムかけにきたバカ”になっているのだろうか?
コメンターに反論を受けるのを怖いと思うのは自由。そのためにコメント欄を消し去るのも自由。
しかし、同じ意見をもつだけのコメンターを「バカの集団」にしても構わないのが自由なのか?真面目にがんばっている人間でもバカだと言われたら「バカでーす」と認めて黙り込まねばならない環境が善か?そしてその差は著者かコメンターかと言うそれだけによって作られるべきだということなのか?
と言う辺りどう考えても問題な気がしてならないんですがどうしたもんでしょうか。やはりコメンターは黙れ、とか?
まず上の「blog主のやりたいようにblogは運営されるべき」
という意見を拝聴しました。
私的制裁うんぬんはごもっとも。反論などありません。削除もスタンスですからいいんじゃないですか。
が、良く分からない点が一点。
「何故わざわざblogというコミュニケーションツールを使った上で、
私的領域に踏み込むなと主張するのですか?」
私は、blogを素のまま使っていながら、そういう主張をするのが理解できません。
逆にblogじゃなければ、安易に反論出来ないから、批判はそうは集まらないと思いますが。
コメントが出来るようにしている時点で、荒らしを除いても批判的コメントは来ないと思うほうが楽観的過ぎますよ。
そこはむしろ、良かれ悪しかれ現実世界に近いのではないですかね。
最近、現実の日本の治安も悪くなってきましたしね。
批判的コメントを見たくないならコメントは閉じるべきだと思います。
その点だけでも納得していただける方が増えると精神的に被害を受ける人も減ると思うのですがね。
最後に、人格攻撃や個人情報をさらす行動はもし犯罪にならなくとも犯罪予備軍です。イクナイ。私は加害者にも被害者にもなりたくありませんから、これだけは声を大にして言いたい。
批判的コメントを見たくないからコメントを閉じるというのも、コメント欄を閉じないで批判的コメントだけを削除するのも、はたまた、批判的コメントを残しておくのも、ブログ主がそれぞれのすきにすればいいと思います。そのブログにコメント欄がないのでつまらないと思う人は読みに行くのをやめるなり、それでも読み続けるなり、すきにすればいいし、あるいは、自分のブログからトラックバックして感想を書いてもいいと思います。トラックバックも受け付けないブログがあっても、引用して感想を書くことはできるでしょう。ひとによっては、コメントを書いてもらうときにはURLの表記を必須とする、という方針のブログもあるそうです。まあ、それぞれです。それぞれの方針を、コメントを書く人も尊重しましょうといいたい。はじめはコメント欄に書き込めたのに書き込めなくなったとか削除されたとか閉鎖されたとかで、何も腹を立てて2ちゃんねるでさらすことはない。
『名無し』『顔なし』『通りすがり』『電車男』ども(自分で言うなよ、勘違い人間どもよ、、)、、、魂のぬけがらになって保守化した、クソったれにもならないこの『時代』とともにもろとも消えていってほしい。
こういうヤツラって休日とかひまな時はパソコン漬けなのかな、、、日本の大切な『労働力』を支えてる、商品人間たちだもんな。そういう『電車男』たちに支えられてる読売や産経は抵抗を書く記事は書けませんもんな、、。人形天皇を中心とする家族集団国家日本。万々歳ですよ。笑っていいとも。
ネットの画面の中でも「奴隷」じゃないとアイデンティティーなくなっちゃうよね、、、そりゃ。生きてないんだから。
ただ、そう思うのならばブログでなく、自分が書き込むだけのホームページ(HTML)+投稿者限定の掲示板のようなスタイルにすればよいんじゃないかしら?
はたまたメンバー限定のメーリングリストとか。
特定のブログを潰そうとしてF5アタックとかで攻撃するのは問題ですが、誰もが書き込めるようなシステムの所で反対意見に覆い尽くされてしまうのはインターネットでは諦めるしかないでしょう。
でも、右でも左でもまともな論調のブログ(サイト)ならば、そんなに殺到されることはないと思うんですけどねぇ。
いやいや、左で、しかも誰にも波風たたせない『まとも』なサイトなんて、、、やる意味あんの?(笑)削除されんのがいいんじゃない?『世間』ではそういうヤツラが美化されんだから。
うじゃうじゃ殺到してくんの、いいじゃんよ~。それこそ本当に真実があることじゃん。本当の事言ってなかったら誰も見向きもしね~よ。
でも、本当の左なんていないよ、日本人には。
> 2ちゃんねらー達を只の無法者と定義しているようですが、無法者なのは
実際閉鎖に追い込まれた者たちだと私は思うのですが。
これどんな論理なのだろう(笑)
2ちゃんねらー全てを只の無法者と言うのには私も抵抗ありますが
(私もねら-ですし)
最近の流れで感じたのは、批判・賛同以前の問題として2ちゃんねる気分で書きこみをする輩が多い事ですね
人様のblogに書きこむということに対する最低限のモラルの欠如を大きく感じます
掲示板でも、一回に表示される件数は10件までとか、20件までとか、決まっているでしょう。で、掲示板では、「次のページ」へ進むこともできるのですが、ブログの場合、次のエントリーはまた別の話になってることもある。そのときはあきらめ、テーマが連続していたらまた書き込む、ということでいいのでは。
ということで、私のブログでは最大50件まで、としてトップページに書いてみました。
今問題になってるのは、そののびのび同士がぶつかっちゃった場合の調停の方法だと思うんですが。まあ誰がどうしようと大した損害がでるわけでもないから調停なんか必要ない、という考え方もあると思います。
ただ、なんとなく「ネット上では自分だけでなく他人ものびのびやっている」ということを理解できていない人からつぶれていっているような印象を受けています。
「のびのびやりたいのにぃ」と愚痴ってみたところで、「さらさないでくれたらなぁ」と祈ってみたところで、それを強制する力はありません。
コメント欄を開放している以上は見ず知らずの誰かが殴り込んでくる可能性もあるし、野次馬が押し掛けてくる可能性だってあるし、荒らしがやってくる可能性もある。
レスポンスを求めて意見を公開している以上は、望まざる反応が来る可能性は必ずある。
それが「どうしても」イヤなら、現状でも技術的解決手段はいくらでもあります。
気に入った人とだけ意見交換がしたいなら、自分が登録した相手以外は書き込めないような仕組みの掲示板を用意すればいいでしょう。制限はしたくないけど相手の素性をある程度知った上でコミュニケーションしたいなら、最近流行りのmixiの様なサービスもあります。もし意見は公開したいけどコメント欄を晒したくないならコメント欄は封鎖してメールだけで受け付けたっていいでしょう。
> また、コメントスクラムですが、何十件も批判非難投稿が
> 続いているのを見たら、そこに書き込むときはちょっと考
> えたほうがいいのではないでしょうか。
本来、大抵の人はその様に判断しているのですよ。正規分布のグラフを想像していただければわかりやすいのですが、極端な判断基準の人は分布の裾野の方にいるので、普段は平穏なのです。しかし、多くの人から共感や反感を呼ぶような意見を公開したりした場合、行動に移すまでの閾値が下がったり、沢山の人が見に来て分布の総量が大きくなるので、普段の数倍、数十倍のコメントが書き込まれたりするわけです。
あなたも小倉先生も、例の記者ブログは「潰された」と思いたいみたいですけど、そう断定する根拠は一体どこにあるんですか?相変わらずそこがわからない。まぁ、潰れた側からすれば結果は一緒なのかもしれませんが。
ちなみに私みたいな議論厨は、本当は相手の反論を待っている時が一番楽しいんですけどねぇ。潰れちゃったら反論が来なくてツマラナイですよ。
そういう意味では、宿主と共生できてないバクテリアみたいなもんなのかもね。
おっと、ご同類ですね
だからこそ、マジメに意見を書き込んでいるときに
>ほんとに付和雷同して自分は正しい、常識がある、良識がある、普通だ、まともだ、っていってる人たちほど、手に負えない、みっともない、どあつかましい、いけずうずうしい、しかもその勢いの強さがばかにならない、困ったものはないなあ。
こういう根拠のない罵倒をされると、そりゃ言いたくもなるわけで。
『それって小倉先生に付和雷同して「自分は正しい」と全コメンターを十派一からげで罵倒してますか?』と。
まぁ、もめる現場に一部に心無いコメンターが現れるのは事実なれど、悪意あるコメントと批判的なコメントを混同してはいけない。
>こわい、こわい。こわいよー。
私的な印象なんですが、サヨクのアホどもって被害妄想がほんっと強いんですよね。やたらと大袈裟にするし、妄想も旺盛だし。
おまけに弱者の立場に立つってのがウリだから、どうしても「弱者の視点」になっちゃうし。擁護された弱者は付け上がって、擁護した側との波状効果が生まれると(サヨクの方が付和雷同だと思うけど、まあそれは貴方からみりゃ正反対なんだろうなぁ)。強い弱いの立場なんて簡単に逆転するって事を分かってない。さぞかし単純な世界観をお持ちなんだろうなと思う次第です。
と、サヨクって何なんだろうなと疑問を持っておられる様なので、私見を書いてみました。逆に、管理人様のウヨク像とはどんな物でしょう。(ところで「右翼」は夫婦別姓に反対してるんですかね?)
そういった状況では、コメントに書いた人側の言うきちんと対応していないと言う批判は成り立たないと思います。
個人と集団の違いはありますが、ストーカー行為に似てるかもしれないと思いました。ストーカーの一つ一つの行為それ自体はそんなに酷くなくても、相手が「うざい」と思っていて、それらがしつこく積み重なったら嫌なストーカー行為になるわけで。
コメント一つ一つを個別に見ていけばそこまで酷くないかもしれませんが(変なのは多いですが)、それらが集中すると「なんだかなー」というものになってしまう。何人も同じこと書いてるのに、あなたも書くの?あなたも?みたいな。そりゃ嫌がらせにしか見えないって、と。
行為者側が「善意だ。悪意はない」みたいなノリで自己正当化に精を出すところも似てますね。
>した。ストーカーの一つ一つの行為それ自体はそんなに酷くなくても、相手が
>「うざい」と思っていて、それらがしつこく積み重なったら嫌なストーカー行
>為になるわけで。
普通のストーカー被害者は、不特定多数が見ている場所で、わざわざ顰蹙を買うような事を大声で連呼して、不特定多数の憎しみを買うような馬鹿な真似はしません。
>行為者側が「善意だ。悪意はない」みたいなノリで自己正当化に精を出すところ
>も似てますね。
むしろ、集団窃盗行為を自慢げに話た上に、誤魔化すような弁明しかしない芸能人のような、あきらかさまな問題行動を起こした人物と、それに対する抗議の殺到という状態に似ているでしょう。
抗議殺到は行き過ぎかもしれませんが、そもそもの問題は、抗議の対象になる人物にあるわけで。基本的に、被害者が一方的に標的にされるストーカーとは、大きく性質が違う。
その1
「インド洋の津波の被害者が自己責任だ。だから同じ自己責任であるイラクの人質三人にも、津波の被害者と同じ様に、責任を問えない」
その2
事あるごとに、自分の学歴を自慢し、相手の学歴を見下す、東大生様
その3
自分を攻撃しているのは「思想集団ネット右翼」だ
違う違う、逆でしょ。しかも「悪意はない」を「善意だ。」ということにしてしまうのは悪意がある様にしか見えないな…
コメントが殺到するってのは原理は単純で、それだけブログ主が書いたエントリが多数の人の反感(やら共感やら)を呼んでしまっただけ、という話なのに、真面目な批判も野次馬の罵倒も十把一絡げにして「これはネット右翼によるコメントスクラムだ!」とか言い出すから、「違う、俺達はただ思ったことを書いただけなんだ」と、わざわざ「ネット右翼じゃない」ってことを言わなきゃいけなくなる(誰も「善意だ。」なんて言ってないよ)。頓珍漢な陰謀論みたいなものを出されれば誰だって反論したくなるでしょう。
というか、皆さんマクロな現象というものを理解してらっしゃらないですねぇ。
ちなみに私は2ch的な野次馬コメントを擁護するつもりも肯定するつもりもないです。ただ、現象的には理解はできます。
datusaqさん、あなたと私は認識が違うということでしょうね。
とおりすがりの工学部生さん、「真面目な批判」をする人なら野次馬が出てきたり、同じようなことを何人も書き込むような状態になったら、とりあえず引くと思いますよ。そんな状態で参加はしないでしょう。だって、自分も同類だと思われたら嫌でしょう。というか、「コメントスクラム」は上手い表現だと思うし、むしろ上品すぎ!と思う。はっきり言って、傍から見てると醜いです。なんなの?この人たち?って感じ。そう思わない人もいるのはわかるのでお互いの違いをつめるのは不可能でしょう。
『皆さんマクロな現象というものを理解してらっしゃらないですねぇ』
みんな理解してると思いますよ。その現象についてどう思っているかが違うだけで。その「あんたはわかってない!ほんとはこうなんだ!」と主張しないではいられない強い気持ちに興味があります。同じこと主張してる人が狭いコメント欄に何人もいるのに、「俺も!」という気持ちにも。いてもたってもいられないってとこでしょうか。
この気持ちには同情するんですよね。この心理状態に興味がある。HNなのにunknownなのに、この人たちは何を証明したいのだろう?と。自分の何を守りたいのだろう?と。もともと自分自身を守るためにHNやunknownにしてるのに。やたらと「普通」「常識」を主張たり、「勝ち負け」にこだわったり、「論破論破」「客観的客観的」とか言ってみたり。その不安はなんなんだろう?と。そんなに不安にさいなまれているの?と。ほんとに小倉氏のコメント欄は興味深いですね。
まあ、一つのエントリーで批判コメントに対する反論は3個から5個が精一杯じゃないかなと思いますわ。ブログ主(議論相手)に対して永遠に質問をしつづけることは可能ですが、そりゃもはや議論じゃないでしょう。答えないと「逃げた。論破した」ってねえ・・・。2、3回のやり取りでお互いの主張・相違点を確認し、それを明らかにした時点で終わりにするのが理想だとは思いますね。
はい。
私は、不特定多数で公開されている場で馬鹿な事をしでかして顰蹙を買い、その顰蹙が早期の内に頭を下げる事ができず、かえって喧嘩を売り続けて、批判コメント殺到状態にしてしまう、マッチポンプなブログ主にはほとんど同情できません。
思いがけず不当な批判やヤジが殺到した気の毒な事例も昔の掲示板とかでは知って、そういう事例は気の毒に思いますが、今回問題の三件、「イラクの人質とインド洋の津波被災者の十個責任度は等しいと言い張りつづける馬鹿記者」「ひたすら学歴自慢で相手を見下す馬鹿東大生」「自分が攻撃されるのはネット右翼の陰謀と言い張りつづける馬鹿弁護士」は、ブログ主を軽蔑するだけ。
まぁ大筋では同意なんですが。
私はどっちかっていうと野次馬コメントには「黙れ!」と言いたいクチですし、東大生ブログで「論破論破」「証明証明」言ってる連中もなんだかなぁという感じだったので。
ただ、小倉先生のブログみたいに聴衆が多い状態だとどうしても「祭」方向に流れが傾きやすいと思うんですよ。最初のきっかけとしてある記事に批判コメントが大量に付いたりすると、場の雰囲気が「祭っぽく」なってしまい、ただでさえ挑発的なコメントによって低くなっていた書き込みへの閾値が雰囲気によってさらに下げられる。で、本格的に「祭」になってくると、今度は本当の意味で真面目に反論を求めている人が逆に書き込みを敬遠してしまうため、書き込みの殆どがノイズに近いもので埋まってしまう。
続く
結局のところそれだけの現象だと思うのに「ネット右翼のコメント『スクラム』」ということになってしまうのは何でなのかなと。
>真面目な批判も野次馬の罵倒も十把一絡げにして
という言い方はまずかったですね。ただ、少なくとも小倉先生の件に関していえば、最初のうちはそれ程多くない人とコメント欄で議論していたはずで、そこまで一緒くたに扱ってしまうのには違和感を感じます。
でまぁ、私としてはコメント欄炎上という現象自体はわかりやすい話なので、それを変にとらえてしまうブログ主側の心理の方に興味があります。
『真面目に反論を求めている人が書き込みを敬遠』
そう。それ以外にも、小倉氏(ブログ主)と問題意識を共有し、それを議論したい人も敬遠する。擁護すると火に油を注ぐことになるかも。発生した事態に責任の持てない第三者は参加しづらい。擁護がガーとあったら、反発がその何倍も来そう。「コメントスクラム」が問題視する人なら、さらなる「炎上」は避けたい。そんな状況で、「擁護がないのはエントリーが非常識だからだ!」ってねえ。2ちゃんのノリ。あんたらラウド・マイノリティだって。元サイレント・マジョリティと主張するけど。
『それだけの現象だと思うのに「ネット右翼のコメント『スクラム』」・・』
「ネット右翼」はセンス悪いけど、反朝日ピーポーがガーと来た現象ですし。反朝日の方々を「ある種の思想集団」と表現するのもおかしくないですよ。ネット上(保守論壇でも)でそういう方々があちこちで存在するのは確かですし。「スクラム」にこだわる人がいますが、「メディアスクラム」知ってればねえ。納得です。(「ストーカー」という言葉のおかげで状況が説明しやすくなったように。)
観察してましたが、最初は数人でしたね。けど思ったのは、この人たちしつこすぎ。あちこちでしつこい人いますが、何度もカラミすぎ、と。対応してたらキリないなこりゃと。ネット議論はそんなもんかもしれませんが、数回批判に答えたら十分でしょと。そのうち批判が増えていき、unknownも増えていき、面倒なので、エントリーで返答。ますます反朝日の人がやってきたと。
『変にとらえてしまうブログ主側の心理の方に興味』
現に嫌がってる人があちこちにいるわけで。私からすりゃ無視無視とか思いますが、当事者じゃないとわからない。変にとらえるもなにも、なんだこりゃ?誰よ?これ?と思うのは当然のような。現象自体って、彼らが反発してるのはそりゃ誰でもわかるでしょう。その上で、こんなことするこの人たちのモーティベイションはどっからくるの?とか、こういう人らがこう思ってやってるんだろうなあ、といろいろ想像めぐすのは当然のような。
> なんだこりゃ?誰よ?これ?と思うのは当然のような。
こんなようなことはそれこそNetNewsやパソコン通信の時代から幾度となく繰り返されてるわけで、「ITに詳しい」小倉先生なら別に目新しいことでも何でもないと思うんですけどねぇ。まぁそれが自分のブログで起きるとは思ってなかったんでしょうが(笑)。「変にとらえる」っていうのは主にそう意味で言っております。
結局私にとってはマクロに見れば(言い方は悪いですが)「ちゃねらーが殺到して炎上した」という程度の理解で納得できることなので、個々の人間が何を考えているかについては別段どうでもよいんですよ。
まぁこの辺りは認識の違いだと思います。
字数制限もあるし他人のブログなのであまり全ては書けませんが、この件について多少理解が深まった気がします。terutellさんを含め議論に参加した方々に感謝します。
『まぁそれが自分のブログで起きるとは思ってなかったんでしょうが(笑)』
小倉さんは意図的じゃないですかね。あえて「ある種の思想集団のコメントスクラム」を実証してみせたような。自分で「コメントスクラム」について語ったすぐ後ですし。なので、小倉さんに関しては実はまったく同情していません。興味深いもの見せてもらったなだけ。小倉さん自身もコメントスクラムの妖しい魔力に半分とりつかれちゃってるかもしれませんが。なんたって、連中は屁理屈だけはいっちょまえですからねえ。
『ちゃねらーが殺到して炎上した」という程度の理解』
私もそんなもんですよ。ただ、2ちゃん内だけならまだしも、ああいうのがネットのスタンダードになりつつあるのがなんだかなあ、とは思います。まあ、2ちゃん内のことには不感症になってるので、他所でああいうのを見ると新鮮で新鮮で。でも、彼らも2ちゃん内でより切実になにかを訴えてるように見えました。その姿が興味深かった。んじゃ、おつかれー。
批判的なコメントがついても、炎上しないブログもありますね。
その事実についてはどう思われますか。
要は、管理者の対応次第だと思います。
私は「2ちゃんねらー達」を「只の無法者」と定義してはおりません。次の二つのコンテンツは両方とも私が書いたものですが、2ちゃんねるでの肯定的な体験と否定的な体験とを語っております。
異議あり!「奇跡の詩人」 ■コメント・書評
2ちゃんねるから、Yahoo!から saihikarunogo 2002/07/08
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_rev.cgi/3b6414ed735de0104e81?aid=p-sai55706&bibid=02191418&volno=0000&revid=0000105235
2ちゃんねる被害体験とイラク人質非難
http://terutell.at.webry.info/200405/article_15.html
terutellさんはこういう対応ができる方だから、ご自分のブログで起こりかけたフレーム(炎上)を鎮火できたのですね。
できれば小倉弁護士にも見習っていただきたいものです。
ところで私も先日からブログを始めました。
トラックバックを送らせてていただきますので、玄倉川がまた道徳に反することを言ってると思われたらどうか厳しくご指摘ください。
その方が、「自分が攻撃されるのはネット右翼の陰謀」と言っている部分をいくつか適示していただければ幸いです。
ここですよ。
http://blog.goo.ne.jp/hwj-ogura/
有名なサイトなんでご自分で調べてみては?
その方は、別の場所でこんな発言をされています。
>昨今のコメントスクラムにより自分たちの気に入らない発言を載せるblogを押しつぶしていこうと
>いう動きに対しては、IT方の専門家としては声を 上げていかないといけないのではないかという
>ことで、Hotwiredには申し訳ないのですが、一連の発言をしています。
・・・なんだ、この発言は。
http://terutell.at.webry.info/200502/article_14.html