国民的規模のいじめと、今井紀明さんの反論
(1)「こんな危険を冒してまで自己犠牲的な活動をする必要もない」
(イラクで日本人3人が拘束される4月8日以前)
○月刊『創』2004年5月号(2004年4月7日発行)より
香山リカさんのコラムで、犯罪の社会的背景などを言いにくくなってきている、シンプルに加害者が悪いと言わないといけないみたいな空気になってきている、松本智津夫被告の娘さんが和光大学に入学を断わられたことでも、大学としての利益を損なわないための判断だからいいじゃないか、という若い人々がいる、などと述べていました。
「『こころの時代』解体新書」香山リカ、p.104-107.
(2)「美談の投影を許さないという意味で私たちのナルシシズムに抵触する、彼ら『主張する弱者』に対しては、私たちの愛もまた屈折したものになる」
(イラクで拘束された日本人5人全員が解放された4月17日より後)
○月刊『創』2004年6月号(2004年5月7日発売)より
「『こころの時代』解体新書」香山リカ、p.82-85.
(要約)
証券取引の分野では、「自己責任」という考え方は、もともと、「金融の自由化」という"うま味"とセットになっていたのだが、1990年代以降、日本の経済状況が悪化すると、"うま味"の部分はほとんど消えて、「責任の押しつけ」や「失敗した個人の切捨て」に使われるようになった。医療や福祉の分野でも、「自己決定」と「自己責任」がセットになって、患者の利益にならないような使われ方をすることが多くなった。立岩真也はこの傾向に早くから警鐘を鳴らしていたが、世間は耳を傾けず、弱者や敗者切り捨てのための自己責任論が唱えられることが多くなった。
(抜粋)
○月刊『中央公論』2004年6月号(2004年5月8日発売)より
「[時評2004]『主張する弱者』にも寛容さを」斎藤環(精神科医)著、p.40-43.
(要約)
改正児童虐待防止法によって、近所の視線が監視カメラと同等に強化されることになる。こどもの安全のためには自由を犠牲にする、つまり監視を受け入れる必要がある、という難問にゆきあたっている。
精神分析的に言うならば、「バッシング」の欲望もまた「愛」である。
(抜粋)
○激高老人のページ
http://homepage3.nifty.com/BC/C9_1.htm#36
作田啓一COLUMN
「人質いじめの共同戦線」
(3)今井紀明さんのインタビュー
○TBSテレビ「news23」(2004年5月6日)
今井紀明さんは自宅でインタビューに答えていました。脅迫ビデオを見せられることもなく、落ち着いた環境で話すことができて、よかったと思います。
以下は、てるてるによるインタビューのメモ。
------------------------------------------------
北海道札幌市、今井さんの自宅でインタビュー。おかあさんがお茶を運んでくる。
Q.この一ヶ月のできごとの重さというのは
A.短かったけど長かった。
(脅迫ビデオの映像)
Q.一番危険を感じた瞬間は。
A.一番最初とビデオ撮影のとき。
最初はこわくて何もできなかった。恐怖におびえていた。
最初は、明日かあさってに解放してやる、っていって、その日になるとまた三日後に解放してやる、とかいって、同じようなことが繰り返されて、気力がなくなってきた。
Q.この先どうなっていくと考えましたか。
A.6日目ぐらいで、もうずっと長期化するかと思った。3人だから、もった。一人ではだめだった。
Q.自作自演という噂がありますが。
A.ぼくらの感覚としては演出なんて感覚ではなかった。
高遠さんは、泣いてくれませんか、ていうのをきいたそうですが、ぼくはわからなかったので、ほんとにこわかった。
あれで演技ができる人がいるのなら見てみたい。
Q.刃物を首に当てられたときの気持ちは。
A.今でもあの映像をみただけでも気分が悪くなり。言葉に出すのならまだだいじょうぶだけど。
Q.家族の苦悩について。
A.親に感謝しています。信じてくれたんだな、と思った。それから、ご心配おかけした方々に申し訳なかったと思います。
ぼくらの感覚としては、三日目ぐらいに、行方不明だと思っていた。
要求のことも知らなかった。
8日目ぐらいにアルジャジーラを見せてもらった。うちの兄貴と高遠さんの弟さんが並んでテレビに出ていて、なにがなんだかわからないけど、まずいな、と思った。
Q.帰国すると自己責任という批判を受けることになったが。
A.兄から、日本でたいへんなことになっている、ときいた。
これからどうしよう、と思った。
どうしていいかわからなかった。
妙な威圧感を感じて具合悪くなった。あのときのフラッシュは忘れられない。
自分の存在がどんどん消えていく。自分のなかで。自分の存在意義が見えなくなっていく。
もう、生きている価値がなくなる感じで、無気力状態になった。
Q.イラクで活動しようと思っていた意義を否定された感じ?
A.「自己責任」といわれたのがなにがなんだかわからなかった。
状況判断とか、今となっては…待って、自己責任か…
イラクも地獄だったけど、日本も地獄だった。
イラクの人々は自分たちよりももっと苦しい状況にある。その家族はもっとつらい思いをしている。それが今は実感としてわかる。
Q.またイラクに行きたいですか。
A.まだわからない。まだ整理できていない。今度こそファルージャやバグダッドに行きたいとも思うけど。
A.ここは安全で、イラクはそうじゃない。ぼくは安全なところで考えている。
------------------------------------------------
私は、
日本が退避勧告を出しているところに、イラクの人々は暮らしていて、だからこそ、報道や人道支援に行く人がいるわけで、それでもしも誘拐されたり殺されたりしたら自己責任とか自業自得とかいうのなら、じゃあそこで暮らしているイラクの人の立場は、そこでUSAの軍隊に殺されたりテロに巻き込まれたりしたら、その人たちは、自己責任で自業自得なの? 自己責任とか自業自得とかいう以前の状態で、不条理な死に目に遭う人々の立場は?
ということが、今井さんが、「自己責任」という問いかけに対して、「ここは安全で、ぼくは安全なところにいる」と言った意味なのかな?
と思いました。
上記のインタビューとほぼ同じ内容が、「週刊現代」2004年5月22日号にも載っています。
「単独インタビュー / 今井紀明 / 異常なバッシングへ大反論 / 『政府は僕らの自作自演にしようとした』」(インタビュアー・寺澤有)
「『パソコンを開いたら、届いたメールが6000通ですよ。誹謗中傷も、もちろんありました』。イラクの現実を広く伝えようとした今井紀明さんの行動は、いつからか罵声を浴びる対象となった。世論形成の作為を目の当たりにした今井さんの本音に、旧知のジャーナリストが迫った」
「取り調べた警察が『自作自演』を誘導、その情報を流した / 日本政府は国際的な評価を落とした / 僕らは帰りの航空券を持っていた。それを使いたかった。 / NGOの活動を奨励していたのは政府。それを『自己責任』と言って責めるのはおかしい / 家族に関する報道には呆れた」
「美談の投影を許さないという意味で私たちのナルシシズムに抵触する」というのは、まさに虐待者の心理であり、それに対して、今井紀明さんの「自分の存在がどんどん消えていく。自分のなかで。自分の存在意義が見えなくなっていく。もう、生きている価値がなくなる感じで、無気力状態になった。」というのは、まさに被虐待者の心理です。でも、今井さんは、それによってかえって深くイラクの人々の苦しみを体感し、伝えていこうという意欲を持っています。
*参照
○月刊『創』2004年6月号
「ジャーナリスト拘束と『自己責任』論の迷妄」
野中章弘・原田浩司・安田純平、p.116-123.
*参照
郡山総一郎さんと今井紀明さんの記者会見
http://terutell.at.webry.info/200405/article_1.html
『月刊現代』2004年6月号(講談社)、『論座』2004年6月号(朝日新聞社)
http://terutell.at.webry.info/200405/article_5.html
ジャーナリストたちにとっての、イラクでの日本人拘束事件
http://terutell.at.webry.info/200405/article_7.html
アピール、そして、Yahoo!掲示板
http://terutell.at.webry.info/200405/article_4.html
「自作自演」説流布の検証(Yahoo!掲示板)
http://terutell.at.webry.info/200405/article_6.html
(イラクで日本人3人が拘束される4月8日以前)
○月刊『創』2004年5月号(2004年4月7日発行)より
香山リカさんのコラムで、犯罪の社会的背景などを言いにくくなってきている、シンプルに加害者が悪いと言わないといけないみたいな空気になってきている、松本智津夫被告の娘さんが和光大学に入学を断わられたことでも、大学としての利益を損なわないための判断だからいいじゃないか、という若い人々がいる、などと述べていました。
「『こころの時代』解体新書」香山リカ、p.104-107.
しかし、こういう意見は必ずしも一般的ではない。いわゆる一流大学に在籍していると見られる学生や商社に勤務する若者などがネット日記に書いていた以下のような主張が、むしろ世論の大半を占めるのではないか。
(中略)
「和光大学も私立である以上はこんな危険を冒してまで自己犠牲的な活動をする必要もない」
(2)「美談の投影を許さないという意味で私たちのナルシシズムに抵触する、彼ら『主張する弱者』に対しては、私たちの愛もまた屈折したものになる」
(イラクで拘束された日本人5人全員が解放された4月17日より後)
○月刊『創』2004年6月号(2004年5月7日発売)より
「『こころの時代』解体新書」香山リカ、p.82-85.
(要約)
証券取引の分野では、「自己責任」という考え方は、もともと、「金融の自由化」という"うま味"とセットになっていたのだが、1990年代以降、日本の経済状況が悪化すると、"うま味"の部分はほとんど消えて、「責任の押しつけ」や「失敗した個人の切捨て」に使われるようになった。医療や福祉の分野でも、「自己決定」と「自己責任」がセットになって、患者の利益にならないような使われ方をすることが多くなった。立岩真也はこの傾向に早くから警鐘を鳴らしていたが、世間は耳を傾けず、弱者や敗者切り捨てのための自己責任論が唱えられることが多くなった。
(抜粋)
恨み怒りが「自己責任の原則」という知的な用語にカモフラージュされながら、特定の個人に向かう。あるいは、だれかを激しくののしりながら、「私は弱者や敗者側、つまり自己責任を負う側にはまだ回っていないぞ」と自らの立場の安全性を無理やり確認しようとしているのかもしれない。そうすることで、いつ自分が「はい、あなたは負け組です。でもその責任は自分でどうぞ」と言われる側に回るのではないか、という恐怖から一時的にでも逃れることができるからだ。今回の人質事件への国民の拒絶的な反応には、そういう心理的背景があったように思われる。
○月刊『中央公論』2004年6月号(2004年5月8日発売)より
「[時評2004]『主張する弱者』にも寛容さを」斎藤環(精神科医)著、p.40-43.
(要約)
改正児童虐待防止法によって、近所の視線が監視カメラと同等に強化されることになる。こどもの安全のためには自由を犠牲にする、つまり監視を受け入れる必要がある、という難問にゆきあたっている。
精神分析的に言うならば、「バッシング」の欲望もまた「愛」である。
(抜粋)
対象が「ものいわぬ弱者」である場合、私たちは無言の余白に美談という物語を投影しつつ、ストレートな愛を差し向けることができる。しかし今回のように「主張する弱者」に対しては、私たちの態度は一変する。美談の投影を許さないという意味で私たちのナルシシズムに抵触する、彼ら「主張する弱者」に対しては、私たちの愛もまた屈折したものになるほかはない。すなわち誹謗中傷であり、罵詈雑言であり、バッシングの嵐である。私たちの愛は、本来愛されるべきはずの人質事件の反抗グループの存在を完全に忘れさせてしまうほど強く、それが人質の心理にもたらす効果をも配慮できないほど熱狂的だった。このように愛の対象との遠近法を誤ることを、精神分析は「倒錯」と呼ぶ。そう、一連のバッシングこそは、私たち倒錯者の姿を映し出す鏡にほかならなかった。
○激高老人のページ
http://homepage3.nifty.com/BC/C9_1.htm#36
作田啓一COLUMN
「人質いじめの共同戦線」
イラクで人質になった3人とその家族に対するバッシングは異様だった。学級内での凄惨ないじめが国民的規模で展開されたかのようであった。これに参加したのはいじめっ子に相当する一部国民の権威主義者たちだけではなく、教師に相当するグループもそれに加わった。というよりも、このグループである政府与党と一部マスコミの連合軍の主導のもとで、いじめっ子である権威主義者たちが操作された、と見たほうが事実に近いかもしれない。
(中略)
あとで誘拐された2人は、拘留期間も短かったし、自衛隊を撤退せよという誘拐者側の声明もなかったので、初めの3人とは事情が違っていた。それに3人と2人とのあいだにはアマとプロの違いもあるようだった。あとの2人は3人のように打ちしおれたりしておらず、そのうちの1人は「日本人であるという理由だけで捕らわれたのだ」と昂然と発言した。この強さを前にして、「いじめの共同戦線」も今のところは十分な反撃をしかねているようだ。だからといって、事情を異にする先の3人とその家族の弱さを云々することはできない。それほど彼らへのいじめは残酷だったのだから。こんなことがあっていいのか。(2004/4/23)
(3)今井紀明さんのインタビュー
○TBSテレビ「news23」(2004年5月6日)
今井紀明さんは自宅でインタビューに答えていました。脅迫ビデオを見せられることもなく、落ち着いた環境で話すことができて、よかったと思います。
以下は、てるてるによるインタビューのメモ。
------------------------------------------------
北海道札幌市、今井さんの自宅でインタビュー。おかあさんがお茶を運んでくる。
Q.この一ヶ月のできごとの重さというのは
A.短かったけど長かった。
(脅迫ビデオの映像)
Q.一番危険を感じた瞬間は。
A.一番最初とビデオ撮影のとき。
最初はこわくて何もできなかった。恐怖におびえていた。
最初は、明日かあさってに解放してやる、っていって、その日になるとまた三日後に解放してやる、とかいって、同じようなことが繰り返されて、気力がなくなってきた。
Q.この先どうなっていくと考えましたか。
A.6日目ぐらいで、もうずっと長期化するかと思った。3人だから、もった。一人ではだめだった。
Q.自作自演という噂がありますが。
A.ぼくらの感覚としては演出なんて感覚ではなかった。
高遠さんは、泣いてくれませんか、ていうのをきいたそうですが、ぼくはわからなかったので、ほんとにこわかった。
あれで演技ができる人がいるのなら見てみたい。
Q.刃物を首に当てられたときの気持ちは。
A.今でもあの映像をみただけでも気分が悪くなり。言葉に出すのならまだだいじょうぶだけど。
Q.家族の苦悩について。
A.親に感謝しています。信じてくれたんだな、と思った。それから、ご心配おかけした方々に申し訳なかったと思います。
ぼくらの感覚としては、三日目ぐらいに、行方不明だと思っていた。
要求のことも知らなかった。
8日目ぐらいにアルジャジーラを見せてもらった。うちの兄貴と高遠さんの弟さんが並んでテレビに出ていて、なにがなんだかわからないけど、まずいな、と思った。
Q.帰国すると自己責任という批判を受けることになったが。
A.兄から、日本でたいへんなことになっている、ときいた。
これからどうしよう、と思った。
どうしていいかわからなかった。
妙な威圧感を感じて具合悪くなった。あのときのフラッシュは忘れられない。
自分の存在がどんどん消えていく。自分のなかで。自分の存在意義が見えなくなっていく。
もう、生きている価値がなくなる感じで、無気力状態になった。
Q.イラクで活動しようと思っていた意義を否定された感じ?
A.「自己責任」といわれたのがなにがなんだかわからなかった。
状況判断とか、今となっては…待って、自己責任か…
イラクも地獄だったけど、日本も地獄だった。
イラクの人々は自分たちよりももっと苦しい状況にある。その家族はもっとつらい思いをしている。それが今は実感としてわかる。
Q.またイラクに行きたいですか。
A.まだわからない。まだ整理できていない。今度こそファルージャやバグダッドに行きたいとも思うけど。
A.ここは安全で、イラクはそうじゃない。ぼくは安全なところで考えている。
------------------------------------------------
私は、
日本が退避勧告を出しているところに、イラクの人々は暮らしていて、だからこそ、報道や人道支援に行く人がいるわけで、それでもしも誘拐されたり殺されたりしたら自己責任とか自業自得とかいうのなら、じゃあそこで暮らしているイラクの人の立場は、そこでUSAの軍隊に殺されたりテロに巻き込まれたりしたら、その人たちは、自己責任で自業自得なの? 自己責任とか自業自得とかいう以前の状態で、不条理な死に目に遭う人々の立場は?
ということが、今井さんが、「自己責任」という問いかけに対して、「ここは安全で、ぼくは安全なところにいる」と言った意味なのかな?
と思いました。
上記のインタビューとほぼ同じ内容が、「週刊現代」2004年5月22日号にも載っています。
「単独インタビュー / 今井紀明 / 異常なバッシングへ大反論 / 『政府は僕らの自作自演にしようとした』」(インタビュアー・寺澤有)
「『パソコンを開いたら、届いたメールが6000通ですよ。誹謗中傷も、もちろんありました』。イラクの現実を広く伝えようとした今井紀明さんの行動は、いつからか罵声を浴びる対象となった。世論形成の作為を目の当たりにした今井さんの本音に、旧知のジャーナリストが迫った」
「取り調べた警察が『自作自演』を誘導、その情報を流した / 日本政府は国際的な評価を落とした / 僕らは帰りの航空券を持っていた。それを使いたかった。 / NGOの活動を奨励していたのは政府。それを『自己責任』と言って責めるのはおかしい / 家族に関する報道には呆れた」
今でも僕は「人質事件」というより「拘束事件」だと思っています。イラクでは拘束事件が、日常的に起こっているんです。米軍によってイラク人が何人も捕まっています。それも1ヵ月も2ヵ月もの間、僕らよりひどい状態で拘束されている。彼らの家族は、僕らの家族が味わったような思いをしているんだということ、そしてその事態に日本が手を貸しているということを、多くの人に知ってもらいたいと思います。
拘束中にファルージャが空爆される音を聞いたんです。あの瞬間、何百人ものイラク人が死んでいるんですよ。あの現実を伝えたい気持ちは、いまも持ち続けています。
「美談の投影を許さないという意味で私たちのナルシシズムに抵触する」というのは、まさに虐待者の心理であり、それに対して、今井紀明さんの「自分の存在がどんどん消えていく。自分のなかで。自分の存在意義が見えなくなっていく。もう、生きている価値がなくなる感じで、無気力状態になった。」というのは、まさに被虐待者の心理です。でも、今井さんは、それによってかえって深くイラクの人々の苦しみを体感し、伝えていこうという意欲を持っています。
*参照
○月刊『創』2004年6月号
「ジャーナリスト拘束と『自己責任』論の迷妄」
野中章弘・原田浩司・安田純平、p.116-123.
安田「今回の事件はもっぱら"日本人拉致事件"として扱われているけれど、元々はファルージャの情勢があって起こったわけで、現地の人と話しても『3人の日本人の事件はもちろん悲しいけれども、何百人も死んでるイラク人はどうなるんだ』と言われてしまう。事件はイラクで起きているのに、日本の関心の示し方はちょっとおかしいと思います。」
*参照
郡山総一郎さんと今井紀明さんの記者会見
http://terutell.at.webry.info/200405/article_1.html
『月刊現代』2004年6月号(講談社)、『論座』2004年6月号(朝日新聞社)
http://terutell.at.webry.info/200405/article_5.html
ジャーナリストたちにとっての、イラクでの日本人拘束事件
http://terutell.at.webry.info/200405/article_7.html
アピール、そして、Yahoo!掲示板
http://terutell.at.webry.info/200405/article_4.html
「自作自演」説流布の検証(Yahoo!掲示板)
http://terutell.at.webry.info/200405/article_6.html
この記事へのコメント
反省をしてから己を語れ 自分が!自分は!だけでは、そこらへんの奴と同じになるよ
孤高の若き獅子よ 己を反意に置き見つめ直し 反省を語り後に 夢と現実を語れ
見ている物は中立で見ているぞ がんばれ!!
いつか書かせていただこうと思い、時が流れてしまったのですが。
自己責任という言葉で「国民全員が3人を苛めた!」というのは違うと思います。
イラク人は沢山死んでいるのだから、自己責任ぐらいで3人を苛める日本国民が変だ!
という思考は、少し歪んでいると思います。
イラク人に沢山犠牲者が出たということと、3人が避難せずに自ら乗り込み、
捕まってしまったことは、別問題で、根本が違うケースを比較することはできません。
戦闘地に生まれ育ち犠牲になった者と、戦闘地に行くなと言われているにも関わらず、
入っていき生死に関するトラブルに見舞われた人の事情は違います。
てるてるさんにはこちらを読んで頂き、ご返事をいただけたら嬉しいです。
http://www.chance2.ne.jp/tour-pc/unchiku/u-47.htm
現役ツアコンの人のコメントです。
なおかつ、事態の収拾のためにただでさえか借金国の日本のお金を使ったわけで・・・
彼らが死んでもいいとは思いませんよ。でもあまりに無思慮な行動でしょう。それを攻められて、なぜ「いぢめ」になるのか?
本当にボランティアで出かけるなら、地元の人達の役に立つ活動をすべきですよね?それだったら、予め地元の人達と連絡を取って、どんなサポートが必要か準備すれば良かっただけでしょう?キチンと話をすれば、イランもアフガンもキチンと対応してもらえる人達ですよ。
本当に困ってる人達のニーズもロクロク確認せずに出かけて、ひょいっと強盗に捕まっただけですよねぇ?違いますかねぇ?