|
最近、たまたま、キュリー夫人に興味を持っていたところ、キュリー夫人の娘のひとりで、夫人の伝記を書いた、イブ=ラブイスさんが102歳で亡くなったという記事を読みました。東京新聞の記事です。 http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2007102601000293.html E・ラブイスさん死去 キュリー夫妻の二女 2007年10月26日 11時50分 イブ・キュリー・ラブイスさん(フランスの科学者キュリー夫妻の二女、伝記「キュリー夫人伝」の筆者)25日付の米紙ニューヨーク・タイムズによると、22日、ニューヨーク市内の自宅で死去、102歳。死因は明らかにされていない。 この記事はニューヨークタイムズの記事をもとに書かれているので、元の記事を探すと、もっと詳しく、書いてありました。 Eve Curie Labouisse - New York Times http://www.nytimes.com/2007/10/25/arts/25labouisse.html?_r=1&oref=slogin Eve Curie Labouisse, Mother’s Biographer, Dies at 102 By MARGALIT FOX Published: October 25, 2007 Eve Curie Labouisse, a journalist and humanitarian best known for her biography of her mother, the Nobel Prize-winning scientist Marie Curie, died on Monday at her home on the Upper East Side of Manhattan. She was 102. 以下、長文でしたが、興味があるので、訳してみました。 (以下、てるてるによる、ニューヨークタイムズの記事の訳) 1937年に発表された、伝記『キュリー夫人』は、1903年に、夫のピエール=キュリーとアンリ=ベケレルと共同でノーベル物理学賞を、1911年にはノーベル化学賞を受賞した、キュリー夫人の生涯を、年代を追って綴っている。 ラブイスさんは、キュリー夫人ことポーランド名マリア=スクドロフスカの誕生と少女時代、フランスでの学業と、夫とともに成し遂げた放射性元素ラジウムとポロニウムの発見にについて、母への尊敬をこめて描いている。 その伝記は1937年に英語に翻訳されて、Doubleday, Doran & Company社から出版され、当時のニューヨークタイムズの書評では、チャールズ=プアが、 「心と精神をかきたてる伝記で、良識と感受性の絶妙のバランスの保たれた、偉大な物語が語られている」と評している。 それから70年間、伝記『キュリー夫人』は、科学読み物の古典として受け継がれ、学問を志す少女たちに世代を超えて愛されている。しかし、現代の批評家たちは、キュリー夫人の生涯から聖人の仮面を引き剥がそうとして、ピエールの死後、妻のいる男性との関係があったと指摘する。この関係は、当時のフランスで大スキャンダルとなったのだが、ラブイスさんは、母の死後三年たって出版した伝記のなかで、それについて何も語っていない。 ラブイスさんは、伝記『キュリー夫人』の出版後、広く講演活動をおこなったが、同時にまた、1940年にナチスドイツにフランスが占領された後、熱心にレジスタンスの広報活動をおこなった。戦後、ラブイスさんは、フランスの新聞「パリプレス」を創刊し、1950年代初頭には、NATO の事務総長の特別顧問になっていた。 ラブイスさんは、他に、北アフリカ、イラク、イラン、ロシア、インド、ビルマ、中国の前線を4000マイルにわたって旅したときの記録、“Journey Among Warriors”を、1943年に、Doubleday, Doran社から出版している。 ラブイスさんはその生涯を通じて、彼女の有名な家族を乗り越えたように見える。 「わたしを姉妹とごっちゃにしていませんね?」と、1972年にインタビューを受けたときに質問している。 「わたしは一家のなかでただひとり、ノーベル賞を受賞していないんですよ」 (1935年に、ラブイスさんの姉のイレーネ=ジョリオ=キュリーが、夫のフレデリック=ジョリオとともに、新しい放射性元素の理論でノーベル化学賞を受賞している) しかし、ラブイスさん自身も才能に溢れていた。若い時にピアニストとしてフランスとベルギーで活躍し、後にはフランスの雑誌に音楽批評を書いた。そして、1920年代および30年代において、フランスで最も美しい女性と思われていた。 イブ=デニス=キュリーさんは、1904年12月6日にパリで生まれた。彼女はほとんど父を知らない。1906年4月に、ピエール=キュリーは、雨の日に通りを渡っている時に、足をすべらせて、馬車に轢かれて亡くなったのである。キュリー夫人が後に娘に語ったところでは、夫について語るのに耐えられず、より一層、仕事に没頭したとのことである。 ラブイスさんが後に語ったところによると、こどものときは、母を見ることはほとんどなく、ただ、十代になってから、母の最期の日々を看取ったときにそばで過ごしただけだという。キュリー夫人は1934年に66歳で白血病で亡くなった。長い間放射性元素の放射能にさらされたからだと信じられている。 1954年に、イブ=キュリーはヘンリー=リチャードソン=ラブイスと結婚した。彼は、後に、USAのギリシア大使になった。1965年から1979年まで、ラブイス氏は、ユニセフの事務局長を勤め、1965年にユニセフはノーベル平和賞を受賞した。 ラブイス氏は1987年に亡くなった。その後、ラブイスさんは、養女のペレスさんと、マサチューセッツのケンブリッジで、4人の養子と11人の養孫たちと暮らした。 ラブイスさんの唯一の肉親のイレーネ=ジョリオ=キュリーは、1956年に58歳で白血病で亡くなり、それも、長い間放射性元素の放射能にさらされたからだと信じられている。 ラブイスさんは、養孫の語るところによると、その生涯を終えるにあたって、一家の女性のなかで自分だけが放射線の被害を免れたことに、深い罪悪感を感じていたとのことである。 ---------------------------------------------------------------- イブ=ラブイスさん、または、イブ=デニス=キュリーさんは、一家のなかで自分だけがノーベル賞を受賞していないと言ったそうだけど、夫がユニセフの活動でノーベル平和賞を受賞しているから、どうせ、夫の仕事も手伝っていたのだろうし、それなら、実質的に受賞していることになるじゃないですか〜。やっぱり、すごい一家だ……。 *参照 キュリー夫妻の業績と生涯〜知られざるキュリー夫人の真実〜 http://www.jfcr.or.jp/Ra100/innervision/koizumi.html |
| << 前記事(2007/10/24) | トップへ | 後記事(2007/11/09)>> |
| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
|---|
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|
| << 前記事(2007/10/24) | トップへ | 後記事(2007/11/09)>> |