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help リーダーに追加 RSS 大庭みな子さん死去の報

<<   作成日時 : 2007/05/24 18:46   >>

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http://www.asahi.com/obituaries/update/0524/TKY200705240227.html

作家の大庭みな子さんが死去
2007年05月24日13時37分
 「三匹の蟹」「寂兮寥兮(かたちもなく)」などで知られる、作家で日本芸術院会員の大庭みな子(おおば・みなこ、本名・美奈子)さんが24日午前9時14分、腎不全で死去した。76歳だった。葬儀は近親者で行う。喪主は夫利雄さん。

 30年、東京生まれ。津田塾大卒。結婚後、夫の勤務の関係で59年から米国に住み、ウィスコンシン大などで学ぶ。米国に暮らす日本人夫婦を中心に現代人の孤独を描いた「三匹の蟹」で68年、群像新人文学賞と芥川賞を受賞。

 70年に帰国。とらえどころのない官能や心のうつろい、人間の関係性を、しなやかな感性の文章で表現しようとした小説、エッセーが多い。

 他の作品に「啼(な)く鳥の」など。

 96年に脳梗塞(こうそく)で倒れ、リハビリのかたわら、「浦安うた日記」などを口述でまとめた。


http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20070524i406.htm?from=main4

「三匹の蟹」で芥川賞、作家の大庭みな子さんが死去
 「三匹の蟹」「津田梅子」など、女性の感情と知性の根源を掘り下げた作品で知られる作家の大庭みな子(おおば・みなこ)さんが、24日、亡くなった。

 76歳だった。葬儀・告別式の日時は未定。

 東京に生まれ、父親の転勤先の広島で被爆者の救護隊の一員としてみた光景が文学的原点となった。夫の海外赴任先の米国・アラスカで本格的に小説を書き始め、68年、米国の荒涼とした市民生活を描いた「三匹の蟹」で芥川賞を受賞。野間宏らに「世界文学に比する上質な作品」と絶賛された。

 その後「寂兮寥兮(かたちもなく)」(谷崎潤一郎賞)、「啼く鳥の」(野間文芸賞)、「津田梅子」(読売文学賞)など、現代文学の最前線で活躍した。

(2007年5月24日15時4分 読売新聞)


私にとっては、大庭みな子といえば第一に思い浮かぶのは、『がらくた博物館』である。
大庭みな子の小説のなかで最初に読んだ作品である。
古本で見つけて買った。

 マリヤ・アレクサンドレエヴナのことを町のひとたちはなんとなくヘンな女、というふうに思っていた。まず第一にマリヤは四頭の狼のようなシベリヤ犬と一緒に人間の家というよりは犬小屋といった方がよい家に住んでいて、ごく一、二の者を除いてはどんな訪問客も家の中に請じ入れなかった。


書き出しの文章から引かれたのだが、それというのも私は、ドストエフスキーの小説が好きで、中学時代から社会人になるまで、何度も『罪と罰』を読み返したり、『地下室の手記』『カラマーゾフの兄弟』『白痴』なども好きで、ついで、トルストイの『アンナ・カレーニナ』やチェーホフの『かもめ』にも手を出してみた、というぐらいで、また、岩波文庫の『ロシア民話集(上)(下)』が、『聊斎志異』と並んで大好きで、とにかく、ロシア人のなまえや、ヘンなロシア人、荒唐無稽なロシアのおはなし、と同じ雰囲気のある、大庭みな子の書き出しが、気に入ったのであった。


 ベッドのそばに渡したロープには、二、三十枚の衣類がまるで古着屋の軒先みたいにかけられている。長い部屋着、スラックス、サリのような布切れ、スウェーター、マフラ、ストッキング、光った布地のイブニングドレスやカクテルドレスもある。花のついた帽子なども洗濯挟みのようなものでヴィニールのロープにとめてある。
 それから、おびただしい本の箱。ダンボールに入れてみんなテープでとめてあるが、二つ、三つは口があいていて、ドストエフスキー、チェーホフ、ツルゲーネフ、プーシュキンなんかが見える。


まだ「かたづけられない女」という言葉がはやるよりもずっと前に、こういう文章を読んだのだが、愚かにも私は、マリヤ・アレクセエヴナのような暮らしに憧れ、ひとりでアパート暮らしをしているときに、ちょっとこれと似たような暮らし方をしたものだった。

『がらくた博物館』は、マリヤ・アレクセエヴナの語りを中心とする「犬屋敷の女」、マリヤの友達のアヤの語りを中心とする「よろず修繕屋の妻」、マリヤの勤める店の主人のカルロスと、マリヤが遠くにいる娘に会いに行っているあいだに観光に来てカルロスの恋人になるスウを中心とする「すぐりの島」の三部作になっている。

 ラスの職業はよろず修繕屋といったもので、ラジオ、ステレオ、テープレコーダー、テレビ、時計から、暖房器、電気洗濯機、冷蔵庫、おまけにつんぼの癖にピアノからエレクトーンまで直し、自動車やモーターボートのエンジンまで直した。丁度、名医と藪医者の違いが歴然としたものであるように、ラスはこうした機械の故障の原因をみきわめる一流の腕を持っていたが、気が向かなければ、どんなに金になる修繕物もひき受けなかった。酒乱でない程度に酒飲みだったから、一緒に飲んでいて気に入ったことを言うような客だと、次の日から仕事をしたが、修繕代を請求する段になると、ずっと前に買った部品の値段や、自分の考案した発明に近い新しい部品の作成に要した時間の計算などを忘れてしまうことが多かった。
 そして、そのことをずっとのちになってから思い出し、たまたまそのとき舞い込んだ客に法外な修繕費をふっかけたりしたから、客の評価はまちまちだった。しかし、ともかくもどうしても直したいものがある者はラスの機嫌をとって彼に仕事を頼むしかなかったのである。
 彼が所有している千トンばかりのお化け船に陳列したがらくたの蒐集品は、以前はごく少数の物好きな人たちの話題にのぼるものでしかなかったが、アヤがそのお化け船に座って、コーヒーやクッキィなどを出し、茶代をとるようになってからは、みんなががらくた博物館と呼んで町の名物のひとつになり、今では町の案内書にもその名がのっているくらいである。

参照

http://www.geocities.jp/pluto_naoko/january14.html

誰が何と言おうと、小説のおもしろさというのは、語りのおもしろさだ、と教えてくれたのが、『がらくた博物館』だった。『聊斎志異』や『ロシア民話』などと同じようにおもしろいのが、『がらくた博物館』だった。この小説を読んでから、大庭みな子の作品はほとんど読んだ。どれもおもしろかったが、やはり、『がらくた博物館』が一番、魅力的である。

いつか私も死んだら、あの世で大庭みな子さんに会って、おもしろい小説を書いてくれてありがとうございました、と言いたい。

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