|
以前、「生体肝移植ドナーに関する調査報告書」を、「生体肝移植ドナー体験者の会」から送って頂き、このブログでも紹介した。 *参照 「ドナー外来、ドナー健康手帳」 そのときには、「生体肝移植ドナーに関する調査報告書」(2005年3月)のなかで「ドナー健康手帳」の作成が提案されているが、まだ存在しない、と書いた。 今度、「生体肝移植ドナー体験者の会」の方から「ドナー手術を受けられるあなたへ」というパンフレットと「健康管理手帳」を送って頂いた。「ドナー手術を受けられるあなたへ」は、すてきなイラストがあって親しみやすく、このパンフレットと手帳を作るのために体験者の会の方々が注いだ情熱がよくわかる。ドナー体験者達の実体験に基づいて、生体肝移植という選択肢を提示された家族に、少なくともこれだけは知っておいて欲しい、という点をまとめたものだという。 「健康管理手帳」については、清水準一さんのブログのコメント欄に、ドナー体験者の方が感想を寄せられている。清水氏からの返答もあり、レシピエントを亡くされた場合についても記述した点についてのやりとりが興味深い。「ドナー手術を受けられるあなたへ」のなかでも、レシピエントがなくなる場合もあると、触れられている。 そのほか、「生体肝移植ドナーに関する調査報告書」(2005年3月)に基づいて更に研究を進めた「生体肝移植ドナーの安全性とケアの向上のための研究」(2006年3月)も、送っていただいた。2005年の研究調査報告書は、日本肝移植研究会日本肝移植研究会のサイトで読むことができる。2006年の研究は、厚生労働省の科学研究費補助金を受けた特別研究事業で、「ドナー健康管理手帳」の研究開発の過程や、ドナー候補者のための説明と意思確認についての更につっこんだ調査研究などが報告されている。 「生体肝移植ドナーの安全性とケアの向上のための研究」(2006年3月)より 「ドナー候補者のための説明と意思確認の過程見直しのための提言@--現行の説明文書の検討より--」p.29-46 「ドナー候補者のための説明と意思確認の過程見直しのための提言A--ドナーへのインタビュー調査結果からの考察--」p.55-68 @の研究は、「ドナー候補者向け自己点検シート」の開発に生かされている。 @の研究報告を読んでいると、「インフォームドコンセントをとる」ということが、形式的なものでは何の役にも立たず、患者の家族の心理や家族関係について、医療側が、充分に理解する必要があるのだと認識できる。 患者の家族が移植医に生体肝移植についての説明を聞くときには既に、ドナーになることを覚悟していることが多いという。したがって、 以上のことから、ドナー候補者は既に提供を決意し、次のことで頭をいっぱいにしながら、形式的に移植の効果やリスクの説明を聞いている可能性、自らに不利益な情報に対して意識的・無意識的に防衛的な態度を取ったり、情報を歪曲したり、情報の摂取を拒絶したりする可能性も危惧される。従って、医療側の治療法の選択肢の提示は、提示することによって即提供の決断がなされる可能性を十分考慮し、提示以降の<情報収集⇒相談⇒意思決定⇒意思表示>というモデルが成立しないケースが多く存在することも念頭に置いたうえで、ドナー候補者が冷静になれるタイミングを見極めて、提供に伴うリスクを認識させなければならない。 もう一つ、重要な点は、途中辞退の選択をできるように環境を整えることである。特に、辞退できるということを、ドナー候補者だけでなく、他の家族親族達にも充分に知らせて置くべき、という指摘は、重要だと思った。 しかしながら、今回の調査結果、特に「棄権や途中辞退の権利」について文書に記載していない施設が半数に上っていることから、ドナーの自発性の確保についての取り組みは、全体として十分でない可能性が高いと判断される。「医療者に促されることなく臓器提供を申し出てきた行為=自発性の証」であると解釈している施設も少なくないのではないだろうか。実際にはドナー候補者に対して口頭で説明されている可能性は高いと考えられる。しかし、「棄権や途中辞退の権利」については、ドナー候補者本人だけでなく/ 本人よりむしろ、患者も含めたその家族・親族にとって知らせるべき重要な事項であると考えられる。特に臓器提供を辞退することは同時にレシピエントの死を意味することでもあり、ドナー候補者は辞退を申し出ることを憚れる状況でもある。 上記の部分は、生体臓器移植という医療が患者とその家族にもたらす苦しみの部分の根本に関わる重要な指摘だと思う。 「ドナー候補者のための説明と意思確認の過程見直しのための提言A--ドナーへのインタビュー調査結果からの考察--」でも、途中辞退の権利を保障することが、ドナーの自発性の確保のための必要不可欠な条件であることが強調されている。 この他、今回の聞き取り調査結果から、医療側からの移植治療の提示について”これしかない”と説明を受けたと答えるドナーがあった。このような提示の仕方は、ドナーに他の治療の選択や治療辞退を表明し辛い状況を作る。確かに生体肝移植は進行性の肝不全で様々な治療の末の、他の手段がもはやない状況のケースを対象としている。肝移植学会の適応基準でも”進行性の肝疾患のため末期状態にあり、従来の治療方法では余命1年以内と推定される者。”(日本移植学会)とされている。実際に”これ(移植)しかない”状態であることは事実であろう。しかしドナーの精神的負担を考えると強要や圧力と捉えられる恐れを含む不適切な発言である。また他にないと結論を導き出すのは、比較し選択する権利を所有するドナー側である。ドナーの自発性が保障されることが最も重要でありながら、ドナーの自発性に教示や影響を与える恐れのある言動や行動を医療者は厳重に慎まなければならない。 しかしドナーの自発性の担保が現段階では十分整備されておらず、特に辞退に関する道筋と保障が不備な状況にあり、先の説明文書の調査においても説明文書内に途中辞退について明確な記載があった施設は54%のみであった(2005年厚生労働省特別研究事業;『ドナーの安全とケア向上のための研究』主任研究者:里見進)。施行という選択の必ずもう一方に”辞退”があることをドナーに明確に提示しつつ情報開示を勧めていくことが重要であり、また説明文書においても必ず実施と辞退を並列に記載することがドナーの自発性の担保にも繋がるものとなるのではないかと考える。 病気は、移植という手段が医者から提示されるまでも、患者とその介護に当たる家族とが、共に悩み苦しむものとなっているが、移植という選択肢が提示されることによって、更に広く、家族親戚一同全体で担うものとなってしまう。それは誰かがドナーになろうとなるまいと変わりがない。誰もドナーにならなかったとき、その患者と患者を取り巻く人々は、どんなふうにして病気と死に耐えるのだろうか。 「健康増進法」という法律ができて、健康を増進することが国民の義務とされてしまったが、そうすると、生体移植ドナーになることは、この義務に反するのではないか、などとも、考えてしまう。 いろいろな矛盾を含んでいても、ドナーになった方々は、移植医療というものを否定していないし、それは、病が癒えたかどうかよりも、病を皆で苦しんだ、という体験の貴重さ、文字通り、貴さと重さによるものではないだろうか。それは、ドナーがひとりも出なかった家族親族にとっても、同じなんだろうと思う。 |
| << 前記事(2007/02/18) | トップへ | 後記事(2007/02/24)>> |
| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
|---|---|
ドナー手帳を施設に送っています
年末は腰痛になり、1月末からは胃炎のようで、 ザンタックやら、パリエットやらのお世話になって少し良くなりました。 色々な課題を残しながらも実習指導が終わり、次年度の準備・・・の前に研究で進めておきたいことを何とかしたいところです。 12月から少しずつ、移... ...続きを見る |
NewsとBLOG 2007/02/20 19:51 |
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|
| << 前記事(2007/02/18) | トップへ | 後記事(2007/02/24)>> |