てるてる日記

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zoom RSS 親族優先提供の問題

<<   作成日時 : 2006/10/20 02:44   >>

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現在、国会には、二通りの臓器移植法改正案が提出されています。

一つは、家族同意だけで臓器提供できる、というもの。

もう一つは、本人の意思表示を必須の要件とし、意思表示可能の年齢を、現在の15歳以上から12歳以上に引き下げるというもの。

そのどちらの改正案も、親族への臓器提供を指定できるようにすることになっています。

しかし、臓器の提供先を前以て指定しておく方法は、いろいろな問題が予想されます。

森岡正博さんは、先日、宇和島で起こった臓器売買事件のようなことが助長されると心配しています。

『朝日新聞』大阪版、2006年10月6日・夕刊
脳死移植、「匿名」貫け〜移植法改正案、ぬぐえぬ臓器売買の危険性〜
森岡正博

http://www.lifestudies.org/jp/noshiho02.htm


私は、むかし、厚生労働省のパブリックコメント募集のときに送った意見が、今もほとんど変わらないので、ここに掲載します。


臓器提供先に係る生前意思の取扱いについての意見

この問題は、移植医療の公平性の問題と、ドナー家族やレシピエントの移植後の精神的ケアの問題と、両方から、よく考えたほうがいいと思います。

まず、公平性の問題から。

移植医療において、ドナーとレシピエントとの関係は対等で平等であるべきだと思います。それゆえ、原理原則としては、ドナー本人に、レシピエントを選択する権利を認めてはならないと思います。それを認めると、ドナーがレシピエントよりも優位に立つことになります。だから、レシピエントになんらかの条件をつける場合は、移植に関わる人々共通のルールとして、論議して、定めなければならない。

たとえば、USAには、アルコール中毒の人には肝臓を移植しない、としている州があります。
若林照光著「小説臓器移植〜脳死肝移植A氏の場合〜」(インテリジェンス出版社、1997年10月16日)では、日本の中年男性がUSAに渡って、脳死の患者から肝臓の移植手術を受けますが、それによると、USAでは、肝臓移植を受けるためには、断酒が絶対条件なので、移植待機に入る前に、テストを受けることになります。主人公は、コーディネーターと相談して、AA (Alcoholic Anonymous)に入会します。その前に、日本の同種の団体から、移植手術の少なくとも7ヶ月前から断酒している証明をもらっています。
この小説では、作者は臓器移植推進の立場から、現行の臓器移植法のいくつかの問題点について、慎重派・反対派の説明責任を説いていますが、そのなかで、既に、次の問題を指摘しています。
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ドナーが有料あるいはその他の条件をつけて臓器の提供を承諾した場合には実際どうするのか。
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また、出口顕著「臓器は商品か」(講談社現代新書、2001年)には、UKの事例で、白人の脳死患者の希望で、白人の移植待機患者へ移植されたことが後になってわかり、問題化した、という話が紹介されています。そのとき、UK政府は、提供される臓器は社会の資源であって、人種、宗教などにかかわらずに移植される、という声明を発表しました。
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“Donated organs are a national resource which is available to people regardless of race, religion, age or other circumstances,” it said.
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この声明文は、よく引用されます。
一方、BBCのページに載っている、一般の人々の意見では、national resourceという考え方に反発するものもありました。
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>It is my body, whether I am dead or alive - I am not a national resource to be harvested once I'm deceased.
>The donor's wishes may have been a little bit unpleasant, but I cannot agree that his body was a "national resource". It was his, and he had a right to leave it to whoever he wished.
http://newsvote.bbc.co.uk/hi/english/talking_point/newsid_388000/388215.asp
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当時、UKの新聞などでは、かなり、一般の人が議論しています。ほとんどの人が、人種差別的な条件をつけることには反対していましたが、たばこを吸う人はいやだとか、アルコール中毒の人はいやだとかの条件はいいんじゃないかという意見もありました。
無償の隣人愛によって成立する移植医療ではありますが、それだけを貫くと、臓器は国家の資源である、という考え方が優勢になります。拒否の意思表示をしていない人からは、親族が同意しなくても臓器を摘出してもいいという意見も出てきます。無償の隣人愛は任意の自発的なものであるはずなのに、臓器提供を拒否する人は、他人を死なせる理由を述べるべきであると、提供が国民の義務みたいなことをいう意見もあります。

なお、2000年に、「現代文明学研究」(http://www.kinokopress.com/civil/index.htm)に発表した、臓器移植法の改正案「てるてる案」(http://www.kinokopress.com/civil/0302.htm)では、6歳未満のこどもからの臓器提供が許されるための条件をいくつか試みに提示しました。そのなかに、次の一項があります。
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(3)親が、医師や看護婦などの医療従事者であるか、または、家族や親戚、友人・隣人・同僚等交友関係者に、移植待機患者や移植手術を受けた人がいて、移植医療の意義を理解している。
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この項目を考えたとき、その家族や親戚、友人・隣人・同僚等に臓器を提供する、ということは、考えていませんでした。移植医療の意義とは、そのようなものではない、と思っています。

そもそも、親族を優先するようでは、脳死・心臓死後の移植は医療として定着できないでしょう。

移植待機患者の側から言えば、親族が死ぬのを待つわけにはいきません。

臓器提供希望者の側から言えば、臓器を提供する相手を指定したとしても、その相手が生きていて手術が間に合う間に、自分が脳死や心臓死になるとは限りません。自分より先に、どこかの誰かが脳死や心臓死になって、その人は臓器の提供先を指定していなくて、医学的に適合する相手をさがしたら、自分が臓器を提供することを指定した相手が適合した。そういう場合、その善意の他者からの提供を受け入れるだろうと思います。だから、移植医療というものは、基本的に、無償の隣人愛をあてにしないとなりたちません。

それに、臓器を提供してくれる親族などいない患者さんもいるでしょう。

もし、現行法を変えずに、親族優先の場合のルールを定めるとしたら、事前に臓器提供希望者が意思を登録し、相手の人も移植待機患者としてきちんと登録をしておくなどの方法が考えられると思います。いずれにしても、事後の検証にたえるものでなければならないでしょう。そして、提供するほうは、相手を親族に限るとし、移植を受けるほうは、親族以外からも提供されることができるような登録をすると、不公平になるのではないかと思います。だから、親族だけに提供するという文書を公的に認めるのであれば、移植を受けるほうも、公平性ということからいえば、親族だけからしか提供を受け入れない、という文書が必要になるかとも思います。でもそんなことを言っていたら、肝心の移植待機患者の命が危なくなると思いますが……

また、脳死・心臓死後の臓器移植において、初めから他人への臓器提供を排除して、親族への提供をおこなう場合は、高度先進医療保険そのほか、いっさいの公的な医療保険を適用せず、全部、私費(民間の保険も含めて)で実施するべきではないでしょうか? もっともそうすると、脳死・心臓死した人のからだは本人の私有財産だが、事前に、脳死・心臓死後の臓器提供意思を本人が書面で提示した場合は、公共資源とするために寄付したのだ、ということになるかと思います。

現行法の規定になく、親族間の移植を基本前提としている生体間移植は、もし今後、法律に規定するとしても、枠組みをまったく別にすることになってしまいますが…

次に、ドナー家族やレシピエントの移植後の精神的ケアの問題について。

人情としては、親族を優先したい、という人の気持ちは、理解できます。たとえば、他人のために自分のからだが切り裂かれるのはいやだが、自分のこどものためならかまわない、という人の話を聞くと、もっともだなと思います。

2001年7月1日に実施された事例では、関連する記事として、7月6日の毎日新聞の報道に、こういうものがありました。
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>同省臓器移植対策室の大澤範恭室長は「本人意思の尊重と公平性のバランスの問題だ」と話す。
>臓器移植法には「臓器提供者本人の意思は尊重されなければならない」との規定がある。
>「親族以外には提供しない」と断るのは提供者の自由。家族も同様に断れる。
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この文章を、私は、今回のドナーの家族が、「親族以外には提供しない」と断ったというふうに、解釈しています。その気持ちはわかります。この機会を逃したら、死んでしまうかもしれない、と思ったら、他の人には提供しないでくれ、と主張したくなったのかもしれません。しかし、臓器提供の意思表示をした本人は、そこまで、望んでいたのかどうか、親族に提供してほしいと思いつつも、もしも医学的な理由で移植できないならば、他の人に提供してもらってもよいと思っていたのかどうか、わかりません。そこを、家族が、医学的な理由でだめだったら他人に提供するのは、やめてほしい、と望んだかのような報道ですが、どうなのでしょうか。本人が、臓器を提供するのは親族だけにしてほしい、と望んでいたのかどうかわからないのなら、そこまで、家族が制限するのは、越権行為ではないかと思います。

ところで、生体からの臓器移植は親族から提供されることがほとんどです。それは、常識的には、生きている他人から臓器を提供してもらうわけにはいかないからでしょう。しかし、血のつながりのある人同士のほうが適合する確率が高いとはいえ、適合しないこともあるし、そのほかの医学的な理由で移植できないこともあるので、血のつながりのない、配偶者からの移植も認めています。 USAでは、それでも不足するので、友人・隣人・同僚などまで範囲を広げています。

生体からの移植は、親族間で実施されることが多いがゆえに、人間関係の苦しみがある。だから、脳死・心臓死後の移植のほうがいい、と、移植医の著書で読んだことがあります。生体肝移植に携わる医師たちは、親族だけに限ると、親族同士で、有形無形の、移植への圧力がかかり、ほんとうに自主的な意思表示がおこなわれているとは限らないし、精神的ケアが必要であると、よくこの問題をとりあげています。最近はリエゾン精神医学の医師がかかわるようです。ことほどさように、親族間の移植には、むずかしい問題がある。

私は、脳死・心臓死後の移植でも、実際には、ドナーとドナー家族との関係は「生きて」おり、それゆえの苦しみがあるのだから、ドナーの人格権を保護することで、できるだけ生体からの移植と同じように扱い、匿名性にこだわらないほうがいいと思いました。しかし、一方で、生体からの移植が親族間に限られているがゆえの苦しみもあるので、この点については、生体からの移植も、親族以外の人からもできるようになったほうがいいと思っていました。

2001年7月1日に実施された事例では、臓器提供希望者が60歳代で、移植を受けた人は、50歳代と40歳代だった。もし、これが、臓器提供希望者が20歳代だったら。あるいは、本人が、親族以外の人を、提供を受ける人に指定していて、それが、家族から結婚を反対されている相手だったりしたら。また、20歳代の人が脳死になったときに臓器提供意思を表示していることがわかり、提供を受ける人を指定してはいないけど、親戚に移植を待つ小学生のこどもがいる、などということがあったら。親族優先の希望を家族が出せば通るという前例を作ってしまうと、非常に苦しむ人々が出てくる場合があるんじゃないか、などと思います。首尾よく指定した親族に移植できたとしても、レシピエントとその家族は、ドナー家族(親族)にもなるので、それは、生体間の移植とはまた別のしんどさがあるかもしれない。

心臓死後の腎臓提供では、前例がある、ということですが、これまで、そういう場合の事前事後の心理的精神的支援はどのようにおこなわれていたのでしょうか。
ことに、心臓死後の臓器提供は、本人の意思表示がなくても家族の承諾だけで実施されてきました。それで、今、私は、心配になっています。つまり、以下のような例があったのでは。
本人が献腎登録をしてもいなければ臓器提供意思表示カードを持ってもいなかった。親族のなかの腎臓病の患者も、移植待機患者として登録していなかった。ところが、たまたま臨床的に脳死と診断された。そのときになって、腎臓を提供してほしいと、その腎臓病の患者本人ではなくて、親族のなかでも特にその腎臓病の患者に近い人が主張して、それで心臓が停止するのを待って、腎臓を摘出した、という例などが。


なお、「てるてる案」では、臓器提供意思表示と、臓器提供意思登録と、二通り用意していますが、臓器提供意思を登録する場合、本人が事前に移植コーディネーターに会って説明を聞くことになっているので、親族を優先したいなどの条件をつけたいとき、前もってそういう話をすることができます。基本的には親族優先の考え方は認めません。

それでも、なんらかの条件のもとでは認めてもいい場合を想定しうるかもしれない。もし、親族を優先したいという希望が通せるものなら、当然、相手の親族が移植が必要な患者かどうか確かめたり、移植待機患者として登録していなかったら、登録してもらったりとか、よく話し合うことができます。あるいは、やっぱり、親族を優先するのはだめだということを説明することもできます。

臓器提供意思を登録したからといって、その人が近いうちに脳死になったり心臓死になったりするわけではない。そういうことはめったにおこらない、という前提があるからこそ、移植待機患者も、誰かがいつか脳死か心臓死になった場合は臓器を提供してもらう、という期待ができるのではないでしょうか。


以上の理由で、親族優先の臓器移植には、原則として、反対です。



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