てるてる日記

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zoom RSS こどもの脳死・臓器移植について

<<   作成日時 : 2006/08/01 13:59   >>

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先日、幼いこどもの海外渡航移植のための募金呼びかけがきっかけで、脳死・臓器移植について、真剣な議論がおこなわれた掲示板があります。

babycom高齢出産VOICE
山下みらいちゃんを救いたい! トマトの気持ち -- 2006/06/09
http://www.babycom.gr.jp/voice/kourei/index13.cgi?action=view&disppage=2&no=20006

バックナンバー:2006年6月〜2006年7月20日の5ページ,6ページより)
トマトの気持ちさんへ 1 たんぽぽ -- 2006/06/07
トマトの気持ちさんへ 2 たんぽぽ -- 2006/06/08
臓器提供について たんぽぽ -- 2006/06/16

これらの議論について、私は、杉本健郎さんや森岡正博さんの掲示板でも紹介しました。

杉本さんと森岡さんは、こどもにも臓器提供の意思表示の機会を与えよ、という臓器移植法改正案を提案しています。
http://www.lifestudies.org/jp/moriokasugimoto-an.htm

臓器移植法改正については、自民党の国会議員の河野太郎氏を中心に、本人の事前の同意の意思表示がなくても、家族の同意だけでも臓器提供できるようにしようという改正案が提案されています。
http://www.asahi.com/health/news/TKY200603310346.html

テレビや新聞では、幼いこどもに海外で移植手術を受けさせるために募金を集める人々のニュースが流されたり、ドキュメンタリーが放送されることがあります。そして、臓器移植法改正案についても、少し、触れられたりします。

一方、「トマトの気持ち」さんと私とは、何度か、メールのやりとりをしたのですが、そこには、マスコミにはあまり取り上げられない、単純に臓器移植法改正に賛成とか反対とか言い切れない、複雑微妙なものが含まれていました。それらについて紹介したいと思います。

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てるてるからの問題提起

本人の同意がなくても家族の同意だけで臓器提供できるようになれば、海外に移植手術を受けに行く人の数が減る、と言えるのかどうかは、疑問です。

せいぜい、募金を集めにくくなる、という程度のことではないか。

USAでもヨーロッパでも、インドやフィリピンや中国などに移植手術を受けにいく人はいるわけで、結局、移植医療というものは、いつもドナーが不足し、たとえどんなに脳死患者や生体ドナーの権利を守る法律を作ったとしても、それほど権利が守られていない国へ臓器を買うようにして手術を受けに行く人がふえるだけではないのだろうか?

◎参考になりそうな国際会議のメモ
 ↓
てるてるレポート「脳死と臓器移植における倫理的問題に関する国際会議(20031102)」
http://www5f.biglobe.ne.jp/~terutell/20031102report.htm


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「トマトの気持ち」さんは、脳死臓器移植を再生医療や、胎児診断、中絶の問題ともつなげて考えていらっしゃるので、フランスの生命倫理法のような、全体を貫く整合性のとれた法律が、日本でも必要なんではないか、という気がしました。
臓器移植法改正についての議論で、そういうことを言う人は少ないです。
生体移植についてさえ、現行の臓器移植法に規定されていないし、そのことを改善しようと提案する、ぬで島次郎さんの改正案は、ほとんどマスコミにとりあげられません。
森岡正博さんは、「生命学に何ができるか」などの著書で、もともと、脳死臓器移植も、胎児診断も、障害胎児の中絶も、すべて、とりあげて考えています。


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トマトの気持ちさんより

国内での整備が整うまで、時間はかかると思います。
ですが、国内でのシステムを完備できた時点で、臓器売買があるかもしれないと思えるところへの出国自体を許可しないようにする必要があると思っています。
また、今、受け入れてくれている各国でも、臓器不足は深刻なはずです。このまま続けば、受け入れは先細りになるのではないでしょうか?

臓器提供するorしないの選択の幅を広げることもひとつだと確かに思いますが、その前に、自分の身近なこととして、熟慮する機会を増やす事が大切だと思っています。

日本人がもらうのも諦めるがあげるのもしないという意志がふえれば、それでもいいのではないか?とも思うのです。
両方の立場に自分を置いて、真剣に考える、自分はどうしたいのか?を問う必要があるのだと思います。

また、その気持ちを活かすシステムになってくれること、その選択をしたことが、その後の後悔に繋がらず、良かったと思えるような、安心して任せられる形になることが大前提に立っているのはいうまでもありません。
その部分の問題として、今の現状に私は安心して任せられないと思っています。
これをクリアできなければ、当然、上記したような判断などできるはずも無い。だから、今、色んな法案やシステムの提案があり、見直しをしている今こそ、それをしっかりと見ていかなければいけないと感じているのです。


ドナーにもレシピエントにもなりうる自分や家族を想像する
義母は最初、自宅で倒れたのですが、その後救急車で救急指定病院へと運ばれました。
(中略)
そして、透析ができる病院の診断はすでに手遅れ・・・親類を集めるように言われました。さほど大掛かりに集めるつもりが無かったので、本当に打つ手は無いのか?と問いただしたところ、透析をしてもおそらく心臓が持たず、ショック死するとの見解。
なので、ショック死しても構わないから、透析をまわすようにお願いしました。医療が病魔に追いついていないと感じたからなんです。打てる手を全て打ったとき、それに耐え切れずに死亡ならば、まだ納得がいくというのが一番の理由でした。
(中略)
医師はそこで命の希望が出てきたことで初めて助ける意欲をみせ、真剣に取り組み始めました。そうすること、その意味もその意義も真摯に感じていたのだと思います。
なにせ、治療させてもらえたと私に言いましたもの…。
おそらくは、そんなふうに言い切る家族が少ないのだと思います。そして、諦めるのが普通になっているのかもしれません。
義母は蘇生し、そして、何ヶ月もの深昏睡のすえ、腎不全を伴ってはいたものの、目覚めます。

今では、その状況こそが、ドナーにもレシピエンドにもなる、どちらにも転ぶことができる状況だったと、はっきりといえる自分がいます。なので、そこから、どちら側にもなりえる自分を意識できるのだと思っています。
臓器移植に関心を持ったのもそこからでした。。。

そのあとにつづく、寝たきりからの脱出にも、医療制度との戦いが色々とあり(この部分も、ものすごく問題が山づみなんです、そして、たぶん、この脳死の問題を扱う中で、必要になってくる課題、問題の糸口になることも今では感じています)、勝利とまでは行かなかったのですが、それでも、その後の余生は意味あるものにすることが出来たと私は思っています。

長々と私的なことを書いてしまいましたが、
今、脳死を考える、臓器移植を考えるに、必要なのは、
どちらにもなる可能性の自分をどれだけ明確に想像できるか?
にかかってきているように感じるのです。
倫理の話になるまえに、実は、
私的な部分で、どれだけのそしてどんな認識をもつかが大切で、
そして、私的には自分は脳死または、それに近い状態のとき、
ベクトルは死へしか向かわないとどこで判断し、
その判断を信頼できると感じられ、
どこで自分の死を受け入れるか?
が大切なのではないか?と思えてきます。


脳死だけでなく、堕胎や着床前診断などの問題ともつなげて考える

堕胎は認めるし、障害児を産むことを諦めるのは消極的賛成の立場を持つ方が多い状況の中(堕胎せずに生むこと、そして障害児であっても、育てることを美徳とするところまでは、美談です。でも、その先を憂慮しないのは、、、、、どうなのでしょうか?)、臓器提供だけを、脳死だけを反対するのはやはり大きな矛盾を感じてしまいます。

年間何万という命が生まれる前に消えていく・・・・
3ヶ月くらいの胎児であっても、堕胎のときは、子宮の中で逃げ回り、最大限の抵抗をし、心臓が破裂しそうなほど早く動くのです。その抵抗は叶うことはない状況下なんです。それを知らない方が多すぎます。その時、胎児は何も感じないのでしょうか?何も痛みは無いのでしょうか?無残につぶされ、切り刻まれ、外へとその破片は取り出されるという現実が毎日のようにあるという事。
胎児は細胞ではなく、命なんです。。。。

例えば、お腹の中にいる時にすでに、心臓疾患が見つかったとします。産まれたとしても半年・・・そのくらいしか生きられないと宣言された赤ちゃんをどうするべきなのでしょう?

臓器移植を否定してしまっては、産まれたとしてもできる限りのことをするだけ、もしくは、何の痛みを加えずに、治療もせずにその時を待つという選択が正しいのでしょうか?
ましてや、それが不妊治療の上での出来事となると、さらに話は複雑化してくると思うのです。
何のための新しい命の創造なのでしょう?

生後6ヶ月くらいになれば、表情も周りを見る目もしっかりし、感情もしっかりと持ち合わせています。
その育っている我が子を天命だからと死に行くのを延命治療や動きを制限されたなか、人間らしい動くこと一つさせずに生かし続ける為だけに、痛みを加え続けることが、または何もせずに人間らしい育ちの過程での抱っこやおっぱいをしてあげるだけで、死を待つことが正しいことなのでしょうか?
もし、そこに臓器移植という可能性があるのなら、戦うべきなのではないか?と考えてしまうのです。なぜなら、成功すれば劇的な効果のある治療であるのですから。
もちろん、その後亡くなる子も多いと思います。でも、打てる手を全て打った後ならば、ましてや、少しでも普通の人間らしい状態を経験させて上げられるのなら、本望に思うのは変でしょうか?

そして、私ももし、自分の子にそういう選択肢がある病気になったとしたら、やはり臓器移植をする選択を選ぶ親であると自覚しているのです。

もちろん、臓器移植など出来ない病気の場合も当然あります。
そして、そういう身を切られる選択しかできない小さな命があることも解っています。
どこまでが、その子の為なのか?どこからが親のエゴなのか?
どこまでなら、耐えられる治療なのか?・・・・
ならば、お腹の中にいる、まだ、少しでも何も解らないうちに殺してあげるのも優しさなのではないか?
その先にある苦痛だけの人生を、それでも天寿として送らせることが正しいのか...、なにもせず、いっぱい愛することだけでそれが命を短くする選択であったとしても、それが天寿であるとして最後のときを見送るのが正しい選択なのか?・・・・。
そういった子を更にドナーとして送り出すということは、何のためのその子の人生だったのか?等等考えてしまうことが山のようにあります。本当に難しいことが、そこに横たわっているのです。

ドナーになる子もレシピエンド側になる子も本当に紙一重なのではないか?これは、義母の時に感じた想いと私には似ているところに有ります。

これは、少々乱暴な仮定ですが、
もし、堕胎を選択する権利が親にあるのならば、そして、もし、胎児の時に疾患が見つかり、それでも産む選択をする権利があるのならば、(つまり、子の命を自由にできる権利が有るということ)、臓器提供をする権利もあるのではないか?
と思えてしまうのです。

もちろん、どんな形であれ、天寿として全うさせたと親が納得できる、その赤ちゃんの人生であるならば、臓器提供をしないという断る権利も親にあるとももちろん思います。
子を亡くすという時に、どこに親は癒しを求めるかによるかもしれませんが、同じように苦しんでいる他者の子に希望を重ねる親がいたとしても、いいのではないか?と感じるのです。
子を亡くした親同士が慰めあうことで癒しを得るという形もアリです。でも、その時にふと思ってしまう。ひょっとしたら、我が子の欠片とともに、子を亡くした親ではない親と子がいることに癒しを得ることは出来ないものなのか?と…。

ただ、その年齢がどこまでなのか?と問われれば、私にはまだ、どこまでだとボーダーラインをひくことは出来ません。
それは、どこまでが親の自由で堕胎できるのか?というボーダーをひくこととまったく同じで、自分には出来ないけれど、法律で許されている権利としては、22週までが、堕胎できる権利を有しているといえる。という言葉と同じで、もし、法律が許すボーダーを定めてくれるのなら、それに従うと思うとしか、言葉に出来ないのです。。。

また、着床前診断の是非、染色体による障害児の着床をさせないようにする(逆の言い方をすれば、きちんと育つ子だけを着床させる)治療を受ける権利があるのかないのか??
等も含めて、本来なら、そういったことを血肉の通った遺族となる親の感情面での事も、真剣に議論しなければ、この赤ちゃんの脳死を認める認めないの是非は出てこないと思えるのです。
堕胎したことを後悔しない親が、真剣にそのことを受け止めようとすればするほど、少ないのと同じなのです。

じゃなければ、筋の通らない(今でもめちゃくちゃだと思います)でこぼこだらけの基準になってしまうと思うのです。

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