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zoom RSS 臓器移植法改正に関する社説(1)

<<   作成日時 : 2006/05/17 16:58   >>

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信濃毎日新聞http://www.shinmai.co.jp/

2002年2月12日(火)
社説=脳死移植3年 曇りない実例を重ねよ

 臓器移植法に基づく最初の脳死移植が行われてから三年がたつ。定着を図るためには、幅広い人たちの理解が欠かせない。「一点の曇りもない移植」を貫く実例を積み重ねることで、信頼を得るよう望みたい。

 一例目は法施行から一年半近くたった一九九九年二月末に、高知赤十字病院で実施された。これまでに脳死臓器提供は十八例を数える。

 移植を受けた患者は七十人余りだ。臓器が七人に分けられた例もある。信大病院でも一例目を含め四人への肝臓移植が行われた。今年一月は、同じ病院で分割して二人に移植する初めてのケースになった。移植医療の可能性を示した意義は尊い。

 一方で、日本臓器移植ネットワークに登録して待つ間に亡くなった患者が少なくない。待ちきれずに、身体的、経済的負担が大きい海外での移植に向かう例もしばしばだ。

 法の施行によって脳死移植の社会的な仕組みができたにもかかわらず、患者や家族の切実な思いにこたえられない状況がある。どうやって広げていくかの検討や取り組みを、さらに続けなければならない。

 大事なひとつは脳死判定や移植患者選定、手術経過にかかわる厳正、公正、公開の原則を守ることだ。

 定着しない要因として、臓器提供病院に課された規則を挙げる見方が出ているのは気にかかる。臓器摘出までの細かく、厳しい手順が病院の重荷になっているとされる。規則緩和の法改正を求める意見もある。

 脳死が人の死かをめぐる長い論議を経てようやく動き出した制度だ。提供者の意思確認や救命医療、脳死判定に万全を尽くすことを前提に始まった。わずかでも曇りがあれば、移植医療そのものへの不信を招く。

 実際、公正さが疑われる例もある。昨年、移植あっせんの責任者が脳死判定チェックや臓器摘出をし、自分の大学病院の患者に移植した。札幌医大で一九六八年に行われた心臓移植の密室性が、後の移植医療の妨げになった点を思い起こすべきだ。

 現行制度では認められていない十五歳未満の人からの脳死臓器提供も重要な検討課題だ。自民党内などに家族の書面承諾だけで提供を認める法改正を模索する動きが浮上している。その場合、提供者本人を軽んじるようなことになってはなるまい。

 厳格さを保ち続けることが理解を広げ、ひいては移植の定着につながっていく。「本人の意思表示」の原則を維持しつつ道を開く方法がないか、検討を深めるときだ。



2004年2月26日(木)
社説=脳死臓器提供 法の根幹を踏まえつつ

 脳死での臓器提供を家族の承諾だけで可能にする法改正案を、自民党の調査会がまとめた。脳死移植の高い壁を克服する目的とはいえ、法の根幹である「本人の意思表示」を変える内容だ。幅広い視点から議論を積み重ねたい。

 現在の臓器移植法では、カードなど書面による本人の意思表示を、提供の条件にしている。あらかじめ本人が拒否する意思を示していない限り、年齢を制限せず、家族が同意すれば提供できるようにする案だ。

 意思表示ができる年齢を、いまは民法の遺言可能年齢に倣い、十五歳以上としている。十五歳未満からの脳死移植も認めることになる。移植医療の重大な転換を意味する改正案だと考えなくてはいけない。

 脳死臓器移植は足踏み状態にある。一九九七年十月の法施行後、実施は二十八例にとどまる。提供が少ないために、移植を待つ間に亡くなるケースもある。患者や家族の切実な願いに応えられていない。

 大人の臓器では大きさが合わない子どもの場合、国内で移植を受けるのは難しい。多額の費用をかけ、健康不安を抱えて、海外へ出向く人はいまも絶えない。どう乗り越えていくかは重要な課題だ。

 その点を十分に理解しつつ、本人の提供意思表示を不要にすることには、慎重にならざるを得ない。

 「脳死を人の死と認めるか」は個人個人の死生観にかかわる。拒否できるようにしても、すべての国民から意思を確認しておくのは困難だ。家族の承諾だけで移植が可能になると、本人の考えに関係なく、生死を決められる事態が生じる。

 虐待された疑いのある子どもの臓器提供を、加害者の親が認める恐れも潜む。脳死移植そのものに対する不信を引き起こしかねない。

 臓器提供の前提として、本人の意思表示を厳密に定めたのは、国民の意見が二分している中で、長い間議論を重ねた結果だ。その重みも軽視するわけにはいかない。

 現行法の枠内での取り組みに目を向ける必要がある。法施行時や最初の実施後に比べ、関心が低くなったのは否めない。コンビニなどで容易に意思表示カードが入手できるものの、浸透しているとは言い難い。

 あらためて脳死移植への理解を得ていくことが大切だ。意義や仕組みをより多くの人に広める活動に、行政や関係団体が一層力を入れる余地が考えられる。そうではなくては、法律を改めても限界がある。



2006年5月1日(月)
社説=小児臓器移植 深い論議を聞きたい

 「臓器移植法」をめぐり、2つの改正案が国会に提出されている。97年の法施行以来、44件と伸び悩んでいる移植を増やそうという狙いがある。子どもへの臓器提供の道を開くことが焦点の一つだ。

 臓器を提供する側と受ける側、2つの命にかかわる問題である。丁寧な吟味が必要だ。

 現行法では、臓器移植を行う場合に限って「脳死は人の死」とする。本人が同意する意思をドナーカードで示し、家族が同意した場合に、脳死判定、臓器移植が認められている。意思表示ができるのは、15歳以上としている。

 改正案は与党内で論議が重ねられてきた。1つにまとまらず、2つの異なる案が提出されている。

 自民党の中山太郎衆院議員らの改正案は、本人が拒否していない限り、家族が同意すれば脳死判定と臓器提供ができることにする。子どもも親の同意があれば提供できる。

 もう1つは公明党の斉藤鉄夫衆院議員らが提出した。現行法の枠組みのまま、提供の意思表示ができる年齢を12歳以上に下げる内容だ。

 心臓などは大きさが合う臓器が必要なため、現行法では子どもへの移植が事実上、できない。改正案は、提供側の年齢を下げることで、子どもへの移植の道を開くことを目指している。

 しかし、子どもの脳死判定、臓器移植については、医学的、倫理的にさまざまな課題がある。1つは、子どもは脳死状態でも、長期間生きている可能性があることだ。大人に比べて脳が回復する力があり、脳死判定が難しい。

 2つ目は、脳死の子どもの中に虐待によるケースが含まれることだ。日本小児科学会が2004年に行った調査では、脳死になった163人の子ども(15歳未満)のうち、虐待が原因とみられるものが1割余りに上り、見極めは容易でない。親のみの判断で臓器提供できると、虐待が見逃される可能性がある。

 臓器移植は、成功すれば患者に新しい人生をもたらす。法施行後も海外での移植が相次ぎ、日本が外国に臓器を依存していていいのかという批判は重く受け止めるべきだ。

 一方で、わが子が脳死状態に陥った時、温かな体から、動いている臓器を取り出す決断が親にできるかという、重い問題もある。臓器提供は本人の意思によるという基本は大切にしたい。

 生命観が問われるテーマである。誰もが脳死に直面する可能性もある。時間をかけて掘り下げた論議を国会に期待する。

Copyright© 2006 信濃毎日新聞 The Shinano Mainichi Shimbun


*参照
臓器移植法改正を考える 森岡正博

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