てるてる日記

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help リーダーに追加 RSS 「大長今」ファン「お伽話を聞くように」

<<   作成日時 : 2005/08/08 19:12   >>

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「大長今〜宮廷女官チャングムの誓い〜」の週一回の放送が待ちきれなくて、いろいろなチャングムファンサイトを巡って禁断症状を抑えている。実にたくさんのファンサイトや、「チャングム」のことを書いている日記がある。日本だけでなく台湾や香港や、もちろん韓国でも、同じらしい。読むたび、そうよそうよ、とうなずいたり、そうかそうだったのかと感心したりしている。
そんななかで、とてもいいなあ、と思ったのが、「お伽話を聞くように」という日記である。初老の男性で、BS放送の入らない家の人が、友人に、今週の「チャングム」の内容を尋ねたときの話である。

窯主雑感<’05年7月>7月25日(月)「お伽話を聞くように」
http://www.geocities.jp/seishingama/page031.html
「村に取り残されたチャングムを助けに、ミンの旦那が駆けつけるのだよ」、頷くと続けて
「そしてミンの旦那が村人に囚われそうになるのだが、チャングムがそれを救うのさ・・」

夕暮れの箱根の一室でソファーに並んで聞いていることの可笑しさに耐えている。
白い口髭をたくわえた彼は、お伽話を聞かせるに格好の雰囲気がある。
しかも聞いている男も初老の男で、どうもこの情景は可笑しい。
目をつぶりながら昨日のチャングムのストーリーを思い出しながら
髭のお爺さんの話は微にいり細にいり続くのである。
私はそこまで微細に聞こうとは思わなかったが、
尋ねた人の性格が大雑把を許せぬ人であったことに気がつきだした。
でも、この情景は少しこそばゆく可笑しくもあるが、
「誠実な人なんだ」と再認識したりしていた。
初老の男達の話は天下国家の話か、下ネタが多いものであるが、
お爺さんがお爺さんからお伽話を聞いて特別悪いことではあるまい。
「何時の時代も何処の国でも悪い人がいるものです」と結んでくれた。
いつの間にか箱根山は夕闇の中に沈んでいた。

こんなふうに「チャングムの誓い」を楽しんでいるおじさんたちがいる、ということが、なんだかうれしい。


*参考
朝鮮関連資料

「大長今〜宮廷女官チャングムの誓い〜」とは、時代が異なりますが、18世紀末の朝鮮の城郭都市「水原華城」を紹介しているサイトがあります。
水原華城は、正祖という王様が、父親が非業の死を遂げたことを悼んで父の霊を慰めるために建てた墓所であり、また父の霊のそばにいたいので都を遷そうと考えていた、というあたり、チャングムの、両親やハンサングンに対する想い〜誓い〜を連想しました。正祖は、父のために復讐をしたそうですが、それだけでなく、文化を発展させた優れた王様だったそうです。
それもまた、チャングムが、母と師匠の復讐を成し遂げた後、民衆や、王の病を癒す優れた医師として活躍したことに似ていると思います。

百済の旅〜水原華城〜
http://inoues.net/korea/suigen_kajyo.html
【水原華城(スウォン・ファソン)】

こちらのサイトでは、水原華城を設計した人のことが詳しく述べられています。西洋の科学も取り入れた、優れた学者だったようです。

水原華城(二)〜韓国〜
http://www.ne.jp/asahi/walking-in-the/mountains-in-japan/SuwonHwaseong2.htm

さらにこのページでは、正祖の父が、非業の死を遂げた理由が詳しく述べられています。正祖の祖父英祖は、非常に優れた王様だったのですが、健康上の理由でまだ少年の息子に王位を譲り、日本でいう摂政とか大御所のようなかたちをとったところ、若い王は政争に巻き込まれて、満足に勤めを果たせなくなったのですね。それで、父親自ら刑に処した。残酷な刑罰を廃止したという英祖が、自らの息子に苦しい死を与えたというのは、なんということでしょうか。

水原華城(一)〜韓国〜
http://www.ne.jp/asahi/walking-in-the/mountains-in-japan/SuwonHwaseong.htm

正祖や英祖の時代、実学と呼ばれる実用的な学問が盛んになったそうですが、その実学者の一人が、清の首都北京へ派遣されたときに著わした「熱河日記」は、たいへんおもしろいそうです。

Isshoニュース (ja): 熱河日記
Posted by: mado on Thursday, June 16, 2005 - 01:22 AM JST
http://www.issho.org/modules.php?op=modload&name=News&file=article&sid=1391&mode=thread&order=0&thold=0

18世紀といえば、日本でも、杉田玄白や前野良沢が「解体新書」を著わしたり、工藤平助が「赤蝦夷風説考」を著わし、田沼意次が北海道の開拓やロシアとの通商に興味を示して最上徳内らを派遣したり、平賀源内が江戸の町で活躍したりしていましたね。
私は、この時代に、日本が朝鮮と積極的に交流していたら、おもしろかったのではないかと、思っています。
実際にはそうでなかったことが残念です。19世紀後半の、日本が中国やロシアと戦争をしていったときに朝鮮に対してしたことを思うと、特に。



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