てるてる日記

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zoom RSS ひととものとのあいだ

<<   作成日時 : 2005/05/23 21:30   >>

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みずもり亭日誌 粥川準二の雑記帳
http://www2.diary.ne.jp/user/91038/
■2005/05/23 (月) 近況(組織培養技術)

●先日のゼミで先生が、ジャン=リュック・ナンシー『侵入者』(以文社)に収録された、訳者の西谷修氏の解説が素晴らしいと言っていたのを思い出し、すでに何カ月か前に買っていた同書を読む。ナンシーの論考もさることながら、西谷氏の解説はたいへん刺激的で、これまで読んでいなかったことを深く後悔。西谷氏はヘーゲルの「否定性」という概念を援用し、人体の「資材」としての「再利用」を読み解いている。テクノロジーによって「死」が「在りのままの死」を「否定」されることにより、人間は人間性を否定され、そしてその身体は「もの」、「資材」となる。この論考で主に前提とされているのは脳死者からの臓器移植であるが、「生命維持装置」などそれを成立させている技術を「組織培養」に置き換えれば、ここでの指摘は、再生医療などにもあてはまるだろう。クローン技術(体細胞核移植)もES細胞(の樹立方法)も、その基礎は組織培養技術である。
●なお組織培養技術の重要性について気づかせてくれたのは、昨年秋の神戸大学でのシンポジウムにおける瀬戸口明久さんの批判的コメントである。彼に教えてもらって購入した英語文献にもざっと目を通す。どうまとめようか迷っていたある原稿や、火曜日に打ち合わせする雑誌記事や、水曜日に予定しているインタビュー(「する側」でなくて「される側」)などで役に立ちそうだ。


とある理系学生のメモ(M1)
http://d.hatena.ne.jp/mazzo46/20050519
2005-05-19 ほげほげ■ 脳死は死か

http://www.asahi.com/science/news/TKY200505170347.html
(*)
朝日記者の思い込み記事かもしれんが、脳死は死だと思う。脳死後も人工呼吸やカテーテルで栄養を入れて一見生きているようにする。それは細胞培養みたいなものだ。

心筋細胞は生体から取ってきた後も適切に培養したら、実験用のディッシュの中で数週間自己収縮してくれる。むろん生体はすでに死んでる。

それと一緒だと、私は思う。

*参照
長期脳死について
http://terutell.at.webry.info/200505/article_17.html
長期脳死について(2)
http://terutell.at.webry.info/200505/article_22.html


*2005/07/18追加
てるてるからのコメント
http://d.hatena.ne.jp/mazzo46/20050716#c
しかし、思うに、細胞は培養できても組織は培養できない。
できるなら今頃は、角膜や皮膚は移植せずに、培養したものを使っていると思います。
ましてや、臓器の培養はできない。
できるようになったら、移植医療というものはなくなると思います。
組織が培養できるからといって、ひとりのひとをまるごと「培養」することはできない。
それはそのひと自身の生命活動があるからこそ、生命維持治療が功を奏して、脳以外の臓器の機能が続くのではないのでしょうか?
ちょっと違いますが、
「火のないところに煙はたたない」
といいますね。
生命のないところに生命維持治療は使えない。
脳死状態を長期間維持できるということは、生命があるから維持できるということではないでしょうか。
そこで機能している臓器を移植に使う場合は、違法性阻却論に基づき、本人の事前の承諾を確認してからでないといけないのでは。
生体移植に関する法律は現在の日本にはありませんが、多くの国々で制定されています。
生体移植が法律で認められるのは、違法性が阻却されるからこそだと思います。
脳死移植も、本来、違法性が阻却されたときに認められるものではないでしょうか。
脳死は死だから、そもそも阻却されるべき違法性がない、という考え方は、便利かもしれませんが、どうも、脳死の実体とそぐわないと思います。



*梔子弥栄 〜クチナシイヤサカ
http://d.hatena.ne.jp/teromere5/20050518
2005-05-18 母親の心がわかっておそろしいのか

本日は文章中にきわどい箇所があります。食事中の方、妊娠中の方、気の弱い方はご注意ください。


以前、実際の人間の体を標本にして展示する企画のスタッフとして勤務していました。


説明しておきますとその展示は生前に本人の承諾を得て御献体を特殊な薬品によってプラスチック化し保存した後、普段医療関係者しかみられないのを一般公開するというものです。


業務内容が館内の運営だったので、さまざまなクレームにも対処していました。


多かったのが「亡くなられた方の尊厳はどうなるんだ」「見世物にするなんてとんでもない」という内容です。

この場合お客様に、御献体される方から「一般に公開してもよいです」と了解を得ている旨を伝えますと大抵納得していただけました。


しかし思ったものです。(どうして全身標本にはこうクレームが来るのに同時に展示している内臓標本や血管標本には来ないのだろう。同じ「人間」の一部ではないか)と。


人を人として認識する分岐点とはどこなのでしょう。膵臓や横行結腸、上腕神経や視床下部などには人間としての権利、尊厳はないのでしょうか。


標本をヒトとして認識するには、つまるところ頭部と胴体(表皮かその下の真皮で覆われているという意味において)がつながっていないと対象の感情を読み取る、あるいは想像することは難しい様です。


館内には妊娠三ヶ月から十ヶ月までの胎児標本が安置されています。

人工中絶は各国によって法整備が異なりますが、日本の場合妊娠後三ヶ月未満の場合役所への届出はありません。その後の場合は「死産」という形で処理されます。


調べてみると一ヶ月目・二ヶ月目の胎児は大変小さく、なんだかよくわからない形ですが三ヶ月目になると急に眼・鼻・口・頭髪がはっきりしてきます。

そしてこの時点から「ヒト」として法的に確認されるわけです。ではそれ以前の存在とはなんなのでしょう。


ヒトとモノとの中間存在。


この時点でその生殺与奪の権利は親にあります。「ヒト」ではないので中絶しても法には問われません。


ただ、必要なのは想像力です。


まず、物言わぬ胎児や、肝臓や、膝蓋骨の意識を感じてみて下さい。たった数秒で認識が変わるかも知れません。話はそこからです。顔や胴体が無ければ意思疎通が出来ないなんて寂しいじゃないですか。


私は中絶推進論者ではないし否定論者でもありません。妊娠を経験したこともなければ堕胎した事もないです。各人によって事情は異なりますし宗教や文化の違いもあります。


しかし「ヒト」と「ヒトでないモノ」のふたつにしか分けられないのを余りにも乱暴だなぁと思う訳です。

「ヒトではないが其処に存在するナニカ」にもっと耳を傾けてみるべきではないでしょうか。



追記:

この問題は大変難しく、ある意味答えの出せない問いのため現在も議論が絶えません。

また、脳死問題や障害を持っていると判明した胎児への見解など法的にも一線を引くことが出来ない状態です。


スタッフとして現場にいた者でしか書けないこともあるかと思い本日文章としました。

まとまりがなくなって申し訳ありません。


東奥日報 ■断面2005
http://www.toonippo.co.jp/tokushuu/danmen/danmen2005/0518.html
2005年5月18日(水)

ネットや広告でドナー探し/「あなたの臓器ください」

 あなたの臓器を私にください−。米国で、移植を待ちきれない患者がインターネットや広告で腎臓などの提供者(ドナー)を探し、移植を受ける事例が増えている。背景にあるのは臓器不足。提供数が増えない日本では臓器移植法見直しが進むが、米国でも深刻だ。金銭の介在はないとされるものの、移植関係者は「金が絡むのを防げるのか」と懸念を強めている。

 ▽知らない同士

 コロラド州に住む腎臓病患者のカレンさん(37)は今月、同州の不動産業スーザンさん(38)から片方の腎臓の提供を受ける予定だ。マサチューセッツ州ボストンのホテルで同じ部屋に泊まり、観光の相談に余念がない二人は、昨年までは知らない同士。患者がドナーを探す民間インターネットサイト「マッチングドナーズドットコム」を通じて知り合った。

 「彼女に会えて本当にラッキー」。そう言ってほほえむカレンさんの腎臓は、先天性の病気の悪化で機能が9%しか残っていない。二年前に米国の移植ネットワーク(UNOS)に登録して提供を待ったが、過ぎていく時間に不安が募った。

 昨年、マッチングドナーズの開設を知り、月二百九十五ドル(約三万二千円)を支払って自分の情報を掲載。ほどなく、母親の病気をきっかけに「機会があれば腎臓を提供してもいい」と思っていたスーザンさんからサイト経由で連絡が入った。

 医療費はすべてカレンさん持ち。しかしスーザンさんは「休業補償も含め、お金は一切受け取らない」と断言する。「リスクも分かっている。それでも何かしてあげたいと思う人は、ほかにもいるはずよ」。この言葉通り、同サイトを通じた腎臓移植は昨年十月以来、七件。すべて成功し、カレンさんら二十人以上が準備中という。

 ▽年6千人が死亡

 米国で臓器の売買は違法行為だが、無償なら他人への提供も可能だ。UNOSは生きたドナーから提供された臓器の配分には関与しない。

 マサチューセッツ州に事務所を置くマッチングドナーズの責任者、ジェレミア・ローニー医師は「私たちは提供のリスクを十分に説明した上で、患者とドナーの出会いをつくるのが仕事。その先は当事者と移植施設の判断だ」と説明し、合法的にニーズの一部を埋めているだけ、と強調する。

 背景には、年々深刻化する米国の臓器不足がある。移植を待つ患者は約八万八千人で、日本の待機患者(約一万二千人)の七倍以上。昨年は約二万七千件の移植が行われたが、毎年六千人余りが移植を受けられずに死亡する。「自分も…」という恐怖は患者に強い。

 テキサス州では昨年、肝臓がんの青年(32)が大きな路上看板で提供を呼び掛け、それを知った死亡者の遺族が肝臓を提供、患者の「待てない心理」を強く印象付けた。「患者が生きていくには希望が必要。マッチングドナーズは、それをくれたのよ」と、カレンさんは語気をやや強めた。

 ▽死者が出れば…

 移植関係者はこれらの動きに頭を痛めている。UNOSの倫理委員でもあるハーバード大のダグラス・ハント外科教授は「患者自身が臓器を募集することを認めると、金銭や時間面で余裕がない人は不利。長期的には公平なシステムへの信頼が失われ、ドナーが減ることになる」と警戒する。

 「最大の問題は、裏で金銭のやりとりがないのかを確かめる手段がないこと」と指摘するのは、ペンシルベニア大のアーサー・カプラン教授(生命倫理)。ドナーに障害が出た場合の保護策もなく「この形態の移植は今後増加するが、もしドナーに死者が出れば関心は急速に縮むだろう」と予想している。


人体の「資材」としての「再利用」

細胞培養みたいなもの

(どうして全身標本にはこうクレームが来るのに同時に展示している内臓標本や血管標本には来ないのだろう。同じ「人間」の一部ではないか)

「ヒト」と「ヒトでないモノ」

「ヒトではないが其処に存在するナニカ」

患者の「待てない心理」



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