"「死者の人格権」の可能性 臓器移植法改正に向けて"(宮崎真由著、現代文明学研究:第4号(2001):195-216)には、本人が臓器提供の決定を遺族に委ねるという選択肢を認めてはどうか、という提案がある。
私も、この提案はいいと思う。「子どもの脳死・移植」(クリエイツかもがわ、2003年)の著者杉本健郎も、カナダでドナー・カードに記入する時に、「今は意思表示しない。死んだ時に家族と相談してくれ」を選択した、と述べている。カナダでは、健康保険加入や自動車免許取得の時に、臓器提供に関する意思表示を求められるとのことである。
ただ、杉本健郎は、小児脳神経科医であり、息子が6歳で交通事故で亡くなって脳死と診断されたときに、心停止下で腎臓を提供した経験がある。専門的知識からいっても、体験からいっても、脳死・移植について、いわば「酸いも甘いもかみ分けた」うえでの、選択である。 同じ選択を、20歳そこそこで、身近な人に誰も移植(待機)患者も脳死と診断された患者もいない、医学や看護について学んでいるわけでもない、という人が、家族に選択を委ねる、というのとは、また違うだろう。 また、こどもが、親に選択を委ねる、ということを自ら臓器提供意思表示カードに記入する、というようなことは、無意味といってよい。 臓器提供の選択を家族に委ねることを認めるとしても、それができるのは、少なくとも成人でなければならないだろう。 そのうえで、さらに、「てるてる案」で脳死・臓器移植の際の条件の一つとしている、チェックカードの記入を、この場合に応用してもよいと思う。 チェックカードは、脳死と身体死の違いについて、本人が理解していることを確認するためのもので、健康保険証と同じぐらいの大きさのカード(二つ折か三つ折)で、臓器提供意思表示カードとともに携帯し、チェックカードのすべての項目に自筆のチェックがついていないと、臓器を提供することはできない、としている。 家族に選択を委ねる場合も、これと同じ条件を付けるならば、本人が何もわからないから家族に委ねるのではなく、わかっているから委ねるのだ、という「おとなとしての選択」に、近付けることができると思う。 *参照 てるてる案 Q and A http://www5f.biglobe.ne.jp/~terutell/teruteruqanda.htm てるてる案(「脳死否定論に基づく臓器移植法改正案について」現代文明学研究:第3号(2000):139-179) http://www.kinokopress.com/civil/0302.htm 倉持案による、増補版チェックカード http://www.lifestudies.org/jp/teruteru05.htm 森岡・杉本案「子どもの意思表示を前提とする臓器移植法改正案の提言」(森岡正博・杉本健郎共同提案、2001年2月14日) http://www.lifestudies.org/jp/moriokasugimoto-an.htm |
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