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zoom RSS 脳死・臓器移植を扱ったノンフィクション

<<   作成日時 : 2005/02/28 22:54   >>

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「甦る鼓動」(後藤正治著、岩波書店、文庫、2000年、初版講談社1991年)
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/3b6414ed735de0104e81?aid=p-morioka00730&bibid=00001886&volno=0000
「ふたつの生命」(後藤正治著、岩波書店、同時代ライブラリー、1997年、初版「きらめく生命の海よ」潮出版社1988年)
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/26/6/2603150.html


「甦る鼓動」

2002年2月に、心停止後の心臓を蘇生させる研究のことがニュースになりました。その研究の目的が心臓移植だったので、どうして、もとの心臓の持ち主の生還のために研究しないんだ、と私は思ったのですが、実は、心臓移植のために、停止した心臓を蘇生させる研究は、1970年にもおこなわれていました。当時、この研究をしていたのは、東京女子医大の小柳仁医師でした。

「バルーンカテーテルを用いた屍体内心保存法」(『医学の歩み』73巻第2号、1970年4月)

現在は、バルーンカテーテルの技術は、人工心臓に使われて役立っています。

03/04/17 カテーテル ■2 これで誰かが助かる
http://www.maing.co.jp/maimai/tech/tech_030415.html

「甦る鼓動」には、小柳仁医師のこの研究をはじめ、1997年の臓器移植法施行以前に、心臓移植に積極的に取り組んだ医師たち、日本で移植手術をおこなおうとした医師たちが、おおぜい、肯定的に紹介されています。
無脳症の赤ちゃんからの、肝臓移植もとりあげられています。
特に、移植に積極的に取り組んでいた、大阪府立千里救命救急センターが、詳しく紹介されています。

「第三章 明暗の旅」では、1989年に、兵庫県立こども病院から、肝臓移植のためにオーストラリアに渡航した、当時7歳の茂川徹君の事例が紹介されています。
主治医の連利博医師は、徹君の両親が渡航移植を決断したとき、「近畿肝移植検討会」(事務局・大阪大学医学部第二外科)が発行している、「肝臓提供者カード」を渡しました。それは、万一、自分が脳死になったら、肝臓を提供します、という意思表示カードでした。
両親はすぐに署名しました。
すると、連利博医師は、徹君の姉の11歳の女の子の理映さんにも、署名してもらえないかと、両親に尋ねました。
このとき、父親は、次のように答えています。

「……この子、まだ十一歳でしょ。脳死といってもわからないし、そういう問題が自分で理解できるようになってからでは遅いですかねえ」


連利博医師は、海外での肝臓移植を希望する場合、親に対してだけでなく、こどもにも、ドナー・カードを提示して、登録者になるように勧めていました。子供のドナーは、成人からの部分肝移植を除いて、すべて子供だからでした。

両親は、後で、理映さんに話をしました。

「理映ね、脳死と言うのがあるんだ。機械で心臓は動いているんだが、頭は死んでいる。何も考えることはできないし、もう全然わからない状態なんだ。そういう人から心臓とか肝臓をもらって生きられる人がいる。徹もそうしようと思っているんだ。理映がもし脳死になったら、心臓とか肝臓とか、人にあげられるかな?」


理映さんは、最初に、
「痛くないの?」
と聞きました。
そして、理映さんは、ドナー・カードに署名して、両親が、連利博医師に、提示しています。

私は、この理映さんの気持というものは、きょうだいへの生体部分肝移植や腎臓移植を、「自発的に」決断する人と同じようなものではないかと思います。

茂川徹君は肝臓移植手術を受けましたが、予後が悪く、脳死状態に陥ります。
オーストラリアの医師は、日本から、移植手術を受けに来る人が多いので、脳死状態になっても、治療を続けて欲しいと、両親が望むだろうと思っていました。
しかし、徹君の両親は、脳死をもって死と考えるので、人工呼吸器を切ってほしい、と言いました。
徹君の人工呼吸器が止められた後、病院は、解剖の許可を求め、両親は、快諾しました。

「甦る鼓動」では、USAの臓器移植の先駆者として、心臓移植のノーマン=シャムウェイと、肝臓移植のトーマス=スターツルと並んで、HLA(ヒト主要組織適合抗原系)の解明・組織適合性検査の提唱・臓器保存液と免疫抑制剤の開発をおこなった、ポール=テラサキを挙げています。
USAでは、日本から来た医師がおおぜい、大活躍しているのです。

「第八章 帝王の町」では、USAでも臓器移植の先進的な、ピッツバーグが取り上げられています。ピッツバーグには、移植患者の支援活動を目的とする民間非営利団体TRIO (Transplant Recipients International Organization)の本部があります。TRIOは、1983年に設立され、日本にも支部があります。おおぜいのボランティアが活躍しています。
この章ではまた、クリニカル・コーディネーターと、ソーシャルワーカーの活躍が紹介されています。
ソーシャルワーカーは、移植待機患者や移植患者のあらゆる相談にのります。移植手術後の患者の共通の悩みは、就職問題。以前の仕事にそのまま復帰できる人は少ないそうです。家庭問題にも悩みがあります。移植患者の離婚率は、50%に達するそうです。
医療費をめぐるトラブルはもう日常茶飯事になっています。

「甦る鼓動」を読むと、日本で臓器移植をおこなおうとするお医者さん達も、人の命を救おうと必死なんだとわかります。お医者さんの一人は、脳死の側が弱者みたいにいわれるけれど、移植手術を受けられないで死んでいく患者さんこそ、弱者なんだ、と言っています。
どっちが弱者か、という競争をしても始まらないのですが、移植医が、殺人罪で告発されるのは理不尽だ、と思う気持はわかりますし、何も、名誉心や野心だけで移植手術をするわけではないと思います。


「ふたつの生命」

心肺同時移植のドキュメントです。

日本からUSAにわたって移植手術を受けた女性、仲田明美さんと、もともとUSAで生まれ育ち、USAに働きに来た日本人男性と結婚し、やはり移植手術を受けた女性、アンドレア松島さんの話です。二人は文通して、親しい友人になりました。

1980年代の心肺同時移植は、まだむずかしい手術で、また、心臓移植に比べてドナーがさらに不足していました。待機患者は、お互いに、手術の順番待ちの競争者にもなるのだけれども、情報誌を作って交流していました。

USAで生まれ育ったアンドレア松島さんは、脳死は死であるとして疑問をいだかずに受け入れていれています。

日本で生まれ育った仲田明美さんは、いろいろと考えた末に脳死は固体死であると納得してから、手術を受ける決意をしています。仲田明美さんが移植手術を受ける決心をするまでの前半生を語っている部分は、うつくしさと、いきいきしたところと、せつなさを感じます。

後藤正治氏は脳死臓器移植推進の立場ですが、しかし、USAに比べて、日本では脳死患者からの臓器移植の実施に時間がかかっていることを、マイナスとだけはとらえてはいません。USAでは脳死と診断されると保険がきかず、脳死患者の治療に高額の費用がかかるので、患者の家族が、人工呼吸器を切ることを望むということも述べています。そして、日本の健康保険制度を評価しています。

後藤氏は、免疫抑制がうまくいくようになるまで、臓器移植手術後の患者が死亡することも多く、USAでも医師が殺人罪で告訴されながら、移植手術をやめずに続けたことをパイオニア精神の現われとして評価しています。
この医師というのは、ノーマン=シャムウェイのことで、1958年に、犬を使って心臓移植の動物実験を始めています。1960年、8頭中6頭の犬を、6日から21日間生かすことに成功し、1968年から、人間の心臓移植手術を始めました。
例の南アフリカ共和国のクリスチャン=バーナードが人間の心臓移植をしたのは、1967年です。
シャムウェイはバーナードとは顔を合わせても口も利かない仲になったそうです。拒絶反応で死亡する患者が続いたので、一旦、心臓移植手術の件数は減りますが、1970年代後半以降、シクロスポリンの登場で、再び件数が増え始めます。
シャムウェイだけは、1968年から一貫して、年間十数例から二十数例、三十数例から四十数例と臨床例を積み上げ、成績を向上させました。その間、動物実験も並行して続けていたそうです。

このシャムウェイが、1973年、殺人罪で訴えられました。それは、ピストルで頭を撃たれて脳死状態になった男性の家族が、臓器提供を申し出たので、シャムウェイが心臓摘出手術をしたら、ピストルを撃った人の弁護士が、殺人を犯したのはシャムウェイだと主張したという事件です。裁判では、ピストルを撃った人が有罪になり、シャムウェイは無罪になりました。

USAでは、1980年代後半には、既に赤ちゃんの心臓移植手術も珍しい事例ではなくなっていました。しかし、次の例は、マスコミで大きく報道されて論議を呼んだそうです。
ベイビー・ジェシーの件と呼ばれている話で、未婚のカップルの間に生まれた、先天性心奇形の生後16日の男の赤ちゃんに、同じ未婚のカップルから生まれて脳死と判定された男の赤ちゃんの心臓が移植されたというものです。双方が未婚であることや、養育能力の問題が取り上げられたそうです。

心肺移植についての最初の動物実験は、1946年で、2時間生存したそうです。
人間の最初の心肺同時移植手術は、1968年、USAで、乳児の脳死者から摘出された心臓と肺が、生後2ヶ月の赤ちゃんに移植され、自発呼吸は始まったが出血が止まらず、14時間後に死亡したとのことです。

後藤氏は、臓器移植には、コーディネーターの仕事が重要であると述べています。

移植コーディネーターと並んで、ソーシャル・ワーカーの重要性も取り上げており、メアリー=バージという人へのインタビューがあります。
ソーシャル・ワーカーは、移植待機患者に、移植とはどういうものか、術前にどういう検査がおこなわれるか、ドナーが出た場合どういう基準でレシピエントが選び出されるか、などをレクチュアします。術後も、毎日免疫抑制剤を飲まなければならない。定期的に拒絶反応を調べる心筋バイオプシーという検査がある。移植は、手術が成功しても長期の治療が必要だがそれに耐えられるか、などということも率直に話します。
患者は全米から集まり、病状もそれぞれが抱えている事情も異なり、しっかりとサポートできる家族のいる人も、そうでない人もいます。それぞれの相談相手となるのもソーシャルワーカーの仕事です。
待機患者同士も交流の場を持ち、機関誌を発行していますが、それには、慰めや励ましになる良い面と、負の面とがある。待機期間中に亡くなる人や、移植手術を受けても亡くなる人がおり、それが親しい人であればショックも大きく、待ちきれないというフラストレーションが感染することもあります。こういう人たちを支えるのもソーシャルワーカーの仕事ですが、また、患者のなかにも、積極的に患者同士のささえあいのために活動する人もいるようです。

「二つの生命」の最初には、仲田明美さんがまだ日本にいるときに、USAのアンドレア松島さんからもらった患者のリストがありますが、そこには、名まえの後に簡単な紹介文があり、1番目のペニー=トニーの紹介文には、

(p.29)
彼女はユーモアと強い意志を持った女性で、臓器提供者をふやす運動のために、地方検視官との闘いの先頭にたってきました。


と書いてあります。(*)

後藤正治著「ふたつの生命」は、移植を扱った、非常にいいノンフィクションだと思います。
しかしそのなかに、一点、疑問に思うことがあります。
それはノンフィクションとしての、出来不出来の問題ではなくて、仲田明美さんのとらえていた、脳死の概念です。彼女は、

(p.32-33)
脳死とはすなわち固体死にほかならないと納得できてから、スタンフォード大学へ心肺同時移殖を申し込む手紙を出している。


と書いてあります。
その彼女は、次のように述べています。

(p.137-138)
「医学的な細部はわからないのですが、私は脳死状態になったらレスピレーター(人工呼吸器)等による"治療"をすぐにやめてほしい。そして提供できるすべての臓器を提供したいと思っています。いろいろな考え方があるでしょうが、この問題で尊重されねばならないのは、臓器移植以外は生きられない患者の生きたいという意志、また一方、臓器を提供することによって死後も人の役に立ちたいとする提供者の意志だと思います。脳死論議も大切だとは思いますが、その間にもどんどん死んでいく人たちがいることを忘れないでほしい。大切なことは、臓器移植を全面的に禁止したり、あるいは強権的に正当化するのではなく、一人ひとりの個人における主体的な生命観の確立ではないでしょうか。それが確立されてはじめて、すべてがはじまるように思います」


「私は脳死状態になったらレスピレーター(人工呼吸器)等による"治療"をすぐにやめてほしい。そして提供できるすべての臓器を提供したいと思っています。」
ということは、心臓死後の臓器提供をしたい、ということなのでしょうか。脳死状態になってすぐに治療をやめたら、心臓も停止し、心臓や肝臓を移植することはできません。腎臓や角膜や皮膚ならば移植できます。
仲田明美さんは、御自身が心肺同時移殖を待つ身ですから、はじめから、心臓や肺を提供することはできないわけですが……
残念ながら、彼女は、亡くなられています。
こういう疑問を持つこと自体、ふまじめなのかもしれませんが、気になっています。


*参照
http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?log=&v=683&e=res&lp=683&st=0
http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?log=&v=684&e=res&lp=684&st=0


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047『甦る鼓動』後藤正治 著
甦る鼓動後藤 正治 岩波書店 2000-01by G-Tools 著者の後藤正治氏は、これまで『ふたつの生命―心肺移植を待ち望んで』や『空白の軌跡―心臓移植に賭けた男たち』といった移植医学に関する著作を著してきたノンフィクションライターです。 最近では、『生体肝移植―京大チ ...続きを見る
脳死・臓器移植問題を読み解くブックガイド
2005/12/11 15:31

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