てるてる日記

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<<   作成日時 : 2005/01/12 20:30   >>

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(1)KKさんとてるてるのやりとり

*参照
自己責任についての議論
http://terutell.at.webry.info/200501/article_5.html

KKさん 2005/01/10
僕の意見は、すでに書いた通り「イラクも津波も自己責任という意味で本質的に同じ。違いは、わざわざそれを本人に教えてあげる必要があったかどうか」です。「人質が日本政府・日本国民に迷惑をかけた」かどうかは自己責任を語る上では無関係と判断します。 リンクの全てに目を通しているわけではないので見落としがあるかもしれませんが、イラクの件で数人が人質となったことについての責任の所在について、管理人様の明確な見解を見つけられなかったので、もしよろしければ教えてください。 @責任は人質自身にある A責任は日本政府にある B責任はだれにもない Bということであれば、僕のほうからいうことはほとんど何もありません。損害が発生していて責任が誰にもないということはありえない、というのが僕の主張ですが、つまるところ言葉の定義の問題であって揉めるだけ時間の無駄ですので。

以下、「イラク人質事件とは日本政府への脅迫事件である」という記述からみて、Aとお答えになることを勝手に想定して反論します。多分そうではないと思う(思いたい)ので、以下全て無視していただいて構いません。 例えば「AがBを脅迫するために、Bの友人Cを人質にとった」という場合、責任は誰にあるでしょうか…といえばこれはもう誰がなんと言おうとAに決まっています。Bに責任がないのは説明不要ですよね。 イラクの件について語る場合、ほとんどの人が意識的にもしくは無意識的に置いている前提があって、つまり「人質事件の犯人グループは責任主体とはみなさない」というものです。責任はどうしたって犯人にあることは間違いないわけで、でも現実的に犯人に責任を求めるのはほぼ不可能、だからあれを責任主体としてみるのはやめよう、と。つまりあれは獣か自然現象か何かだと思って見るしかないわけですね。 自然現象で損害を受けた場合、その責任を誰が取るのか…といえば本人しかいないわけで、それを他のところにおっかぶせようというのであれば、それは適切なやり方じゃないだろう、と僕は主張したいのです。


てるてる 2005/01/10
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「AがBを脅迫するために、Bの友人Cを人質にとった」という場合の、A=イラクのレジスタンスまたはアラブのテロリスト、B=日本政府、C=イラクへ行った日本人、としたときに、Aの責任を問わないことに決めるとすれば、BもCも責任を問えないと思います。しかし、責任はAにあります。私は、かなわぬまでも、イラクのマスコミに手紙を出す運動に加わりました。自衛隊撤退を求める署名には応じませんでした。責任者はイラクにいたからです。しかし、これはもっとくわしく分けて考える必要があります。イラクへ行った人々は、報道や海外援助の経験者と、未経験の青年の3人でした。彼らは、彼ら自身の活動を行う上で準備不足・認識不足があったという点で、同じ目的で活動する人々から批判を受ける義務があります。その批判は同じ活動に携わる人々の共有の知識・経験として蓄積されるべきです。

一方、自衛隊を撤退させるか否かは、国会で議論して決めることで、責任は政府にあります。人質の家族は国民として人質の保護を政府に求めました。そのためにマスコミにも出て、自衛隊撤退を日本国民皆にアピールしました。彼らはアルジャジーラにも出て、イラクの人々にも訴えました。これらはすべて公正な手段であったと思います。彼らに対して、責任を政府に転嫁しているなどという批判がありましたが、それは違うと思います。私の考えは、次の記事にも述べています。
「大津波被災と自己責任論」コメントへのお返事その2
http://terutell.at.webry.info/200501/article_4.html
自己責任についてのたとえと、異論と、異論への反論
http://terutell.at.webry.info/200501/article_7.html
------------------------------------------------

KKさん 2005/01/10
大筋でお互いの主張は矛盾しないものであると理解しました。 細かい点で突っ込みたくなるのは多分「責任」という言葉の使い方が少々乱暴に感じられるからだと思います。「自衛隊を撤退させるか否か」については政府に「権限」がある、というのが適切な表現でしょう。ここで「責任」と言ってしまうと「政府には自衛隊を撤退させて人質の命を救う義務がある」という風に読めてしまうわけで(そのような主張であれば別ですが)。犯罪者が何を主張しようと、誰に対してもいかなる義務も責任も発生するはずはありません。 あと僕個人としては自衛隊派兵を後押しするのも撤退を求めるのも、人質の家族であろうとなかろうと、自由にやる権利はあると考えます。


(2)swan_slabさんのコメント

*参照
+ 駝  鳥 + だ ち ょ う +
http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/
http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20050109
■ [philosophy][イラク人質事件]どのような場合に義務が発生するのか
コメント欄より
被災者生活再建支援法については、個人の財産については個人の責任で立て直してくださいというのが政府の論理ですし、憲法解釈です。これを自己責任といわずになんというかです。
にもかかわらず、行政が医療支援やら保険制度やら住宅支援をしているのは、自律的に生活する土台を破壊されてしまった人たちの生活を保障するためです。

「自己責任≒自業自得」な理解と「自己責任≒危険の引き受け・危険負担」な理解のどちらが正しいかはわかりませんが、前者の理解では非難の感情が余計に混じっていて紛争解決をこじらせる気がしますね。非難の感情なんて人それぞれですから、近代市民法が取引関係を中核に私権を構成したのは合理的であったと思います。
このような意味での【誰が損害の費用を負担すべきかという命題】は、近代市民社会でなくとも存在しました。たとえば、徒然草93段では次のような記述があります。

【「牛を売る者あり。買ふ人明日その値をやりて牛をとらむといふ。夜のまに牛死ぬ。買はむとする人に利あり、売らむとする人に損あり」と語る人あり。】
特定物(牛)の売買契約成立後、引渡し前に債務者の過失責任なく特定物が滅失した事例で、吉田兼好の時代は債務者(売主)が危険を負担するという債務者主義をとっていたようです。民法534条は債権者主義を規律していますが、引渡し前であれば債務者が負担するのが妥当でしょう。余談ですが。

今日KKさんの見解をみたけど、いいんじゃないですか。

私自身の見解は
http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20050109
にだいたい書き置きしておきました。

・「自分自身に対する危険の引き受け」と「他者に対する損害(迷惑)発生防止義務の区別」
・他者危害原則によって責任を負うには必ず予見可能性が必要である
この二つの認識があいまいだと、自分の道徳感情が延々とループするんじゃないかという気がしますね。

損害その1=人質として拘束され殺されかけたこと
損害その2=政府の統治行為(あるいは民主的政治過程)に重大な影響を与えたこと

その1については、予見しえた範囲で自分で結果を引き受ければいい。あの時期にイラクに向かうぐらいだから当然「その1」の予見、すなわち自分自身の生命危害を覚悟していたでしょう。ですから、本来、犯人に責任があるにもかかわらず、被害者(人質)はおおむね危険を引き受けていたといっていいでしょう。ただし故意犯ですから「許された危険論」がそのまま妥当するとはいえず、法益侵害に対する責任は第一に犯行グループにあります。また、自分の生命を守る義務なるものはそもそもあまり観念できません。

その2についてはそもそも、加害者は犯行グループですが、人質の過失によって政府に損害を与えた可能性について検討する余地はある。この場合、他者危害ですから、自己責任というより過失責任。過失がなければ責任を負わない。他者に危害(迷惑)を与えた場合に賠償責任が生じうる要件は、損害発生、過失、違法性、結果との因果関係、阻却事由の有無です。(刑事責任は少なくとも犯罪構成要件に該当する必要があるので問題外)。
損害は発生しているし因果関係もある。では過失はあるか。過失の実質は注意義務違反ですから、何についてどの程度注意すべきだったが問題となる。本件では政府に対する損害発生の危険性を予見し、結果を回避する義務があったかどうか。私の評価では、政府の損害発生に対する予見可能性があったとする経験的事実をどこからも見出すことができない。当時、軽々しくイラクにいくと政府に損害を与えるぞと警告していたひとを知らないし、外務省も自分の命(損害その1)を気をつけろといっていたにすぎない。外国人を狙った人質事件は4月7日以前には発生していなかった。その後大流行したに過ぎない。また従来から外務省の危険評価の告知は漠然としすぎているという批判があった。なので当時の報道等を前提とするかぎり、政府を被害者とする不法行為は成立しがたい。不法行為に当たらなくとも迷惑というのはありうるのですが、そうした問題についての私見は本文で書きました。

そもそも、仮に人質となることによって政府に損害を発生させることを回避すべき注意義務なるものを観念するならば、国民の自由保障という根本規範と衝突する恐れも生じます。とりわけジャーナリストが拘束された場合を考えれば表現の自由・取材の自由に萎縮効果を与え、安易にそのような業務上の注意義務を認定することはできないだろうと思います。仮にそのような義務が認められるとしても、違法性阻却を検討する余地があるでしょう(名誉毀損などの場合と同じ論法です)。

人質家族が政府にかけた迷惑を非難するのは妥当かについての私見は本文参照です。



(3)参考になるサイト

自己責任と自己防衛(2001.5・683号)
http://www.jichiro.gr.jp/tsuushin/683/683_04.htm
KANWAKYUDAI::Blog: 「自己責任」
http://guitar.jp/MT/archives/000385.php

自己責任:ややこしいときは面倒でも情報源に当たれ
http://kotonoha.main.jp/2004/04/19self-responsibility.html
コメント欄より
[No.11] 投稿者:森貞彦[2004年05月01日 12:30]
 「自己責任」という言葉の一番古い用例は、私が知っている範囲では『菊と刀』の中にあります。原書では'self-responsibility'で、長谷川松治が「自己責任」と訳しました。ただし、この二、三週間の自己責任論が学問的裏づけを持っているなどと早合点してはいけません。ベネディクトは日本人の自己責任を日本文化の型の一つとみなし、「刀」をそれの象徴としたのですが、彼女の言う「文化の型」は人間の無意識の領域にあるのです。したがって「自己責任」は、決して他人に要求したり、他人から要求されたりすることのあり得ないものなのです。それはあくまで自発的であることによってのみあり得るのです。そういうわけですから、間違っても、現在巷間で言われている「自己責任」と、ベネディクトが言った'self-responsibility'とを同一視してはなりません。


(4)「覚悟」と「自業自得」
星野仙一氏は中日ドラゴンズの監督を引き受ける時に、選手達に「覚悟しておけ」と言ったと聞いています。仮に星野氏が、選手のひとりに、おまえは星野のもとで野球をする覚悟が足りぬ、二軍落ちは自業自得だ、と言ったとしたら、筋が通ります。しかしその選手に向かって「試合に負けたのはおまえの責任だ」と言ったら責任転嫁になります。ましてや「おまえの自己責任だ」と言ったら意味が通らない。プロ野球はショービジネスですから、観客は無責任に「彼の二軍落ちは自業自得だ」「試合に負けたのは彼の責任だ」と言うことが許されます。スポーツ記者はある程度は真摯に報道し、ある程度は観客の気分を盛り上げるために無責任な論評を付け加えるでしょう。

事件・事故が報道されると、報道に接する人々は、まるでショーの観客のように無責任に論評を始めます。インターネットの掲示板やブログには観客たちの無責任な発言が溢れています。
イラクで人質になった3人の日本人とその家族に対して、彼らと同じく海外援助活動やジャーナリズムの仕事に携わる人々が「覚悟が足りぬ、武装グループに拘束されたのは自業自得だ。」と言うのは、筋が通ります。しかし、インターネットでは、無責任な観客達が「自作自演」説に乗ったお陰で、「人質は自己責任だ」という言説が、あたかも「日本政府が脅迫されたのは人質の責任だ」という言説と同義のように流通しました。マスコミや政治家もそれに加わりました。それが「自己責任論」の実態だったと思います。


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タイトル (本文) ブログ名/日時
「大津波被災と自己責任論」まとめ
「自己責任についてのたとえと、異論と、異論への反論」では、2004年4月のイラク日本人人質事件での「自己責任論」と比較した、三つの例を挙げた。 http://terutell.at.webry.info/200501/article_7.html ...続きを見る
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2005/01/14 19:44

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コメント(9件)

内 容 ニックネーム/日時
自分の言動の責任も取らない奴が自己責任論を語っても意味を持ちませんが。
混ぜっ返し担当
2005/01/12 21:59
>事件・事故が報道されると、報道に接する人々は、まるでショーの観客のように無責任に論評を始めます。

論評してはいけないんですか?
あなたは言論弾圧主義者ですか?
無責任な論評と言うけど、責任ある論評って何ですか?
・・・情けない
2005/01/13 00:28
ただ一言、あきれ果てました。
イラク人質たちを擁護する人たちが、terutellさんのような人ばかりでないことを願います。
私は麻原にもフセインにも、もちろんイラク人質たちにも弁護する人が必要だと考えますが、terutellのように無能、いやむしろ有害な弁護人ではイラク人質たちが気の毒というものです。
玄倉川
2005/01/13 01:17
根本はイラクで人質になった3人やその家族が世論の反感を買うような振る舞いをしたというところにあるでしょ?
それを「無責任に論評」とこきおろせば良いと思ってるみたいだけど、無節操に馬鹿を擁護するのも「無責任」な論評なんじゃないの?
どうも「自己責任」という言葉ばかりが一人歩きしているような気がするけど、世論の反感を買うことをしていたという状況を無視して、いたずらに自己責任の定義やら解釈やらを一所懸命議論したって、いつまでたってもコンセンサスは得られないと思うが?
・・・情けない
2005/01/13 01:37
だってこいつコンセンサスを得ようと思ってないもん(笑)
混ぜっ返し担当
2005/01/13 01:44
『彼等』への自己責任論争などには興味がありませんが、取り敢えずこれを置いていきますね。
http://www.kcn.ne.jp/~tkia/kichi-ido/mki-65.html
より
『 そもそも自衛隊をイラクへ派遣したことが間違いなのだという論が止まらない。だが、その決定の最高責任者である小泉首相を法に基づいて選んだのは一体誰なのだ。私たち国民である。選挙なぞまやかしだと言うのは、法を軽んじる者の世迷い言だと言うしかない。多数派が真理を体現していると言うつもりはない。だが、民主主義というのはそういう衆愚政治だということは周知のことではないか。』
cio
2005/01/13 17:02
http://www.kcn.ne.jp/~tkia/kichi-ido/mki-66.html
より
『 会見はまるで北朝鮮拉致事件と同種の被害者家族かのように進んだ(これはテレビ局の不見識が問われなければならない)。また、拉致家族でさえ長年実現できなかった外相との面談に飽きたらず、首相への直談判さえ要求するとはどういうことだろう。被害者と同様、家族も言わば「確信犯」なのである。例えば、まだ未成年のわが子を保護すべき両親が、政府警告を無視して息子の生命の危険を承知の上で戦争下のイラクへ送り出しているのだ。それでいて、「自衛隊を撤退させて、息子の命を救ってくれ」とはあまりにも身勝手なのではないだろうか。』
cio
2005/01/13 17:03
http://www.kcn.ne.jp/~tkia/kichi-ido/mki-67.html
より
『 問題がおかしくなった責任は、あのようなやり方と内容でマスコミに訴え続けた家族たちと弁護士たち、それにそれをたれ流したマスコミにあることは明白だ。後の二人との決定的な違いがそこにある。遭難し救出された関学ワンダーフォーゲル部の「自己責任」も、自分たちの領分でのそれが問われたのだ。無事救出できるとは限らないからだ。国民の心証の分かれ道は「責任転嫁」したかどうかにあったのだ。』
『 以上のような日本的文脈を踏まえず、天の助けと、「仇」であるはずのパウエル米国務長官の「自己責任」論を自分たちの都合のよい側面だけで引用したり(彼の真意は日本の自衛隊派遣の意義の訴えにある)、日本人の大半が未だに理解できない「自己」概念を生んだ国、西欧フランスのルモンド紙の「自己責任」という言葉だけで書かれた論評――当然、日本国内の文脈を理解できていない――を引いたりするのは、子どものケンカに親を引っ張り出すに等しいね。』
cio
2005/01/13 17:03
最後にもう一度言っておきますね。
あなたが『彼等』に対してどう思っているのか、又『彼等を嫌う人達』の事をどう思っているのかは良く解りました。
だからこそ今後は無意味な比喩として関係の無い人間達を引き合いに出すのはやめて下さいね。
また同じ事の繰り返しになりますよ。お互い疲れるだけでしょう?
cio
2005/01/13 17:04

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